英語を途中で教えなくなったワケ
微笑ましいのは、英語のレッスンをはじめたばかりのとき、ハーンがセツに書き取らせた表現に、ひとつだけ以下のようにやや長いものが入っていることだ。「You are the sweetest little woman in the whole world」がそれで、「ユオ・アーラ・デー・スエテーシタ・レトル・オメン・エン・デー・ホーラ・ワラーダ」と読み方が添えてあるが、日本語訳は記されていない。直訳すれば「あなたは世界中で一番かわいい女性です」。ハーンのセツへの深い愛情が読みとれる。
ただし、残念ながら、セツの努力はあまり報われなかった。結局、セツは英語を習得するには至らず、英語をとおして夫婦の会話を深めることはできなかった。
こうした英語学習は熊本で途絶えたが、明治29年(1896)、神戸を経て東京に転居すると、セツはレッスンを再開することを望んだ。このころ、熊本で生まれて4歳になろうとしていた2人の長男の一雄は、ハーンから英語を教わっており、自分もまた学びたいと考えたのだ。
ところが、そのころのハーンは、この人物らしい面倒な考えをいだいていた。日本女性のしとやかさに価値を見出し、英語を学ぶと、その美質が損なわれると考えて、セツにレッスンすることを拒んだのである。
2人だけに通じる「ヘルンさん言葉」
それから3年半。その間、明治30年(1897)2月に次男の巌が、同32年(1899)12月に三男の清が生まれ、清が1歳になった同34年(1901)1月ごろからようやく、セツの願いは一部が叶えられた。ハーンが書き与えた英文を、セツが繰り返し書いたノートが残っているのだ。ただし、それを見るかぎり、会話ではなく筆記の練習なので、会話のレッスンはなかったのかもしれない。また、熊本時代からの進歩のあとはあまり見られず、セツの英語力が停滞したままだったことが伝わる。
というわけで、セツとハーンの意思疎通は、最後まで主として「ヘルンさん言葉」で行われた。ハーンは日本語を系統立てて学ばなかったが、単語や慣用句を覚え、「てにをは」といった助詞は付けず、動詞や形容詞は活用させず、語順も一部が英語風の、主語のすぐあとに動詞を置くという独特の日本語を繰った。そしてセツも、この言葉に合わせた。
ハーンの死後、エリザベス・ビスランド(シャーロット・ケイト・フォックスが演じたイライザ・ベルズランドのモデル)がまとめた『ラフカディオ・ハーンの生涯と書簡』に、セツの以下の言葉が収録されている。
「私ども二人だけの日本語の方は、必要に迫られて大きな進歩を見せました。この特別な日本語は、日本人の友人たちのどんなに上手な英語よりも、ヘルンにとって分かりやすいということになりまして、私の日本語をいつも喜んでくれました。ヘルンは、やがては日本語で一雄を教育したり、日本語でほかの子供たちに日本の物語を教えるようになりました」(長谷川洋二訳)