2人にとって切実な問題
「ばけばけ」では前述のように、トキが英語学習をはじめたのは明治25年3月だが、セツはその時点では、すでにかなりの勉強時間を重ねていたようだ。
長谷川洋二『八雲の妻』によれば、明治25年3月3日にハーンは、「ばけばけ」の錦織友一(吉沢亮)のモデルである西田千太郎に宛てた手紙で、セツへの英語のレッスンがすでに28回に達したことを伝え、「セツは英語に立派な進歩を示しています。彼女は、夏には大兄に少し英語で話が出来るだろうと考えているのですよ」と書いているという。
「ばけばけ」でも一時、トキはヘブンに怪談を熱心に語って聞かせた。このところ、そういう場面はないが、史実のセツは怪談や地元に伝わる伝承だけでなく、いろいろな職業の人から話を聞いたり、新聞の三面記事を細かくチェックしたりしながら、ハーンに書くための素材を提供した。
その際には、言うまでもないが、言葉による意思疎通が大切になる。それは後述するように、基本的には「ヘルンさん言葉」と呼ばれる日本語で行われたが、限界もある。英語で意思疎通できるか否かは、2人にとって切実な問題だったようだ。
「this」は「デーシ」
とにかくセツは、英語をまったく解さなかった。だからハーンは、辞書を片手に片言の日本語で意思を伝えたが、複雑なことは伝えられない。そこで西田千太郎の助けを借りることも多かったが、熊本には西田もいない。いきおいセツが英語を学ぶ必要性は高まった。
こうして熊本で英語を学びはじめたセツ。その努力の跡は、2冊の『英語覚え書帳』に残されている。セツはハーンが語った英語の音を聴き取り、出雲なまりが微妙に混じった日本語で表記して、意味を添えている(意味は添えていないものも多いが)。
その「なまり」がどこか味わい深い同時に、先入観なく耳で聴き取ったものであるだけに、英語の標準的なカタカナ表記よりも、こちらのほうがネイティブの発音に近いようにも思える。
実例をいくつか示してみよう。
「I have eaten plenty.」は「アエ・ハブ・エテン・プレンテ(私たくさんたべました)」。「I am not hungry.」は「アエ・アン・ナタ・ハングレ(あなた・くうふく・なえですか)」。「Will you drink?」は「オエーレ・ユー・ドリンキ(あなたお茶すきですか)」。「dish」は「デショ(総てふた物を云フ)」。「hospital」は「アスペターロ(病院)」。「this」は「デーシ(近き物)」。「that」は「ダート(遠き物)」。「worm」は「ワールム(のくえ)。「cold」は「コールド(さむえ)。「man’s」は「マンヂ(男の)」……。