岩倉織田家の家臣は出世できず
蜂須賀正勝、前野長康、稲田植元の3人はもともと岩倉織田家の家臣で、仲も良かったらしい。
『寛永諸家系図伝』の蜂須賀正勝の項に面白い話が載っている。
永禄13(1570)年、金ケ崎の退き口の際に、秀吉が信長に殿軍を申し出ると、「信長其儀に同じたまひ(い)、(蜂須賀)正勝ならびに木村常陸介・生駒甚介(親正)・前野将右衛門(長康)・加藤作内(光泰)右五人をのこ(残)しを(お)かれて、異儀なく人数(=兵)を引とらる。又秀吉退陣の時ハ、正勝しつはらひ(い)(尻払=最後)たり。此後所々数度の戦場に秀吉にくミして旗下となる」。
つまり、金ケ崎の退き口の際に、信長が蜂須賀、前野、生駒、木村、加藤を秀吉に附け、これを機にかれらが秀吉の与力になったのだという。実際には、それ以前から蜂須賀らが秀吉の与力になっていたと考えられるが、初期の秀吉を支えていた5人がセットになっているのは興味深い。そして、蜂須賀、前野、生駒の三人は親戚でもあった。
生駒親正の従兄弟(生駒家長)の娘が、蜂須賀正勝の嫡子(蜂須賀家政)、前野長康の甥(坪内家定)にそれぞれ嫁いでいるのだ。そして、一説によると、稲田植元の妻が前野長康の妹であるらしい。
