時代を変えた世紀の「出産」
そこで紀子妃が懐妊したという報道がなされた。それによって皇室典範改正の動きは止まった。男子が生まれるかどうかわからないにもかかわらず、である。男子であることは、悠仁親王が生まれるまで明らかにはされなかった。
事前に、部分前置胎盤と診断され、帝王切開による分娩になることが発表されていた。それでも無事出産にこぎ着け、父親である秋篠宮以来41年ぶりに皇室に男子が誕生した。これで、皇室典範の改正は完全に見送られた。
自らの出産が時代を動かし、変えていく。紀子妃がその間、いったいどういう心境だったのか、一般の国民には想像もできないが、それは紀子妃自身をも大きく変えていくのである。
前にも書いたように、秋篠宮家の学習院離れが進むのは、悠仁親王が誕生してからである。眞子・佳子両内親王は学習院ではなく、ICU(国際基督教大学)で学ぶようになり、悠仁親王になると、一度も学習院には籍を置いたことがない。
「教育ママ」に徹した紀子さま
大学のほうは本人たちの意思が働いているであろうが、悠仁親王が幼稚園の段階から学習院を選ばなかったのは、本人の意思ではなく、両親が考えてのことである。紀子妃が、当時自分が所属していたお茶の水女子大学の幼稚園に悠仁親王を通わせるようになったことからすると、そこには紀子妃の意向のほうが強く働いていたはずである。
悠仁親王は天皇家に生まれたわけではなく、天皇から帝王学を直接授かることは難しい。そこで紀子妃が選んだのは、皇室の伝統には拘泥せず、悠仁親王には自分の求めるところをとことん追究し、そこで得られる知見を通して国民から認められるリーダーへの道を歩ませるという方向だった。
そこには紀子妃が学者の娘であったことが大きく影響していたことだろう。逆に言えば、彼女には、そうした道しか正しいとは思えなかったのだ。母親として子どもに最善の教育環境を与える。紀子妃は、「教育ママ」に徹する道を選んだとも言える。それは、自らの重い責任を認識した結果である。
これは、下手をすれば「毒母」になっていく道である。アメリカに住む私の知人の女性は、娘を超エリート校であるMIT(マサチューセッツ工科大学)に入れたが、自分を毒母と認めていた。娘に無理やり勉強させ、相当な反発を受けたらしい。紀子妃も、あやうく毒母になっていたかもしれないのだ。