結婚時の評価は「1000万円超」

最初に、藤吉郎が結婚するまでの出世について記しておきたい。『明智軍記』の「秀吉立身之事」には、それまで小者(雑用を務める奉公人)にすぎなかった藤吉郎が、足軽とはいえ士分に取り立てられたきっかけが記されている。桶狭間合戦の翌年の永禄4年(1561)8月に清須城の塀が崩れた際、修理奉行を買って出てしっかり成し遂げたのが、信長に評価されたのだという。

それを機に出身地にあやかって中村藤吉郎と名乗り、信長の馬廻衆だった木下雅楽助の寄子(寄親の配下または庇護下の武士)になる。翌年には、雅楽助の苗字をもらって木下藤吉郎と名乗るようになったという。