ありきたりかもしれませんが、それはやはり、自分の判断基準にイマイチ自信が持てないからではないでしょうか。
学生が「人気企業ランキング」や、「働きやすい企業ランキング」上位企業に行きたがるのと同じ。オジサンがパテック・フィリップの時計を欲しがったり、オバサンが食べログ上位の店に行きたがるのも同じ。
みんな、自分の判断基準ではない、拠り所。お墨付き、裏付けが欲しいのです。
「私、慶應の教育を出ました」
全然、関係ありませんが、私は大昔、「慶應義塾大学の教育を出た」と名乗る人(女性です)と仕事をしたことがありました。
愚かで幼かった私は、またそこで「へぇ、慶應の教育学部。自分よりアタマいい人なんだ」と、得意の思考停止に陥りました。
ところが後から聞いた話で、慶應大学に教育学部なんてものはなく、その人は慶應の通信教育を受けていたことを知りました。
この時の、私の落胆ぶりときたらありませんでした。通信教育の教育を教育学部と勘違いさせる言葉のトリックの巧妙さ。そして、それにまんまと騙された自分のふがいなさ。そして、何より、自分自身が「学歴」という、その人の本質と何ら関係のないことで、評価を180度変えてしまうことの浅はかさ。事実が判明してしまうと、彼女の魅力だった「フレンドリーさ」は、「ずうずうしさ」にしか見えません。私はそんな自分に、トコトン嫌気がさしました。そして、自己嫌悪させる彼女を憎いと思った。
そして、こうも思いました。かように学歴のインパクト(影響度)は高いものだ、と。