セツを伴侶に選んだワケ
前述のような結婚についての苦い経験や、実母との別れがあっただけに、ハーンは結婚に慎重になった反面、心の底では「真実いとしいものとなる」伴侶を求めていたのかもしれない。
女性を娶る際には「これから自分が何をしようとしているのか」を知る必要がある、と主張するのだから、セツの怪談好きがハーンの志向と合致したことは、2人の関係が深まるうえで重要だったのだろう。だが、それは第一義的な理由ではなかったと思われる。
アメリカ時代の親友、エルウッド・ヘンドリックに宛てた手紙に、ハーンはこう書いている。「私の家庭生活は、この上なく幸福なものとなりまさに私がこの地を去りたいと思い始めた時に、私をこの土地にしっかりと縛りつけることになってしまいました」(前掲『八雲の妻』より)。加えて、日本女性のやさしさや優美さを讃えている。
江戸時代の武士の娘は、大事が生じた際、事態に怖気ることなく敢然と対処できるように厳しくしつけられた。同時に、一定のたしなみを徹底的に叩き込まれた。各人に強く染みつき、士族が没落したのちも消えるものではなかった。
幼少期に出会っていた外国人
セツもまた、家が没落して学校を中退させられ、最初の結婚に失敗するという、ハーンにも通じる苦い経験を積んでいた。それでも士族の娘ならではの芯の強さがあり、古き良き日本美を体現するたしなみも身につけていた。だからこそ、セツはハーンを、「去りたい」と思っていた日本に「しっかりと縛りつける」媒介となったのだろう。
では、セツには抵抗はなかったのか。そこはセツが『幼少の頃の思ひ出』に書いたエピソードを思い出す必要がある。松江にワレットというフランス人がきた日、セツは親類たちと見に行くと、ワレットがセツのところにやってきて、小さな虫眼鏡をプレゼントした。セツはその思い出についてこう記す。
「其人から小さい私は特に見出されて進物を受け、私が西洋人に対して深い厚意を持つ因縁に成ったのは不思議であったと今も思われる。/私が若しもワレットから小サイ虫眼鏡をもらってゐ無かったら後年ラフカヂオヘルンと夫婦に成る事も或ハむづかしかったかも知れぬ」
当時の日本人には一般に強かった外国人に対するアレルギーがセツには希薄だったから、2人の関係はいっそう深まりやすかったに違いない。
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に『お城の値打ち』(新潮新書)、 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。