夫が妻との間に募らせていた「劣等感」

昭和・平成の社会的地位ある男性といえば、女性関係が派手というイメージがあるかもしれません。大物政治家や芸能人などは、愛人がいることを公言しても、非難されることのない時代でした。

妻以外の女性を養ったり女性がいる店に頻繁に通うことができるのは経済力のなせる業であり、経済力がなければ夫を支配できると悦子は考えていたのです。しかし、人間はそれほど単純ではありません。

夫・真治が起こした犯行について、心理カウンセラーは意外にも夫婦の距離感が近すぎて家庭にプライバシーがないことが原因だと指摘していました。真治は会社で妻の悦子の手伝いであり、同じオフィスで共に過ごします。

真治のアルバイト代も悦子が管理しており、買い物や外出にあたってはその都度、妻にお金を催促しなければならないのです。30歳を過ぎた大人としては、あまりに不自由で友達もできないでしょう。

傍から見れば、真治は妻に養われている「ヒモ」のような状態であり、情けない存在だと見做されます。こうした社会的評価に敏感な真治は、密かに劣等感を募らせていました。

精神的にも経済的にも不自由な生活の捌け口として、やがて女性への性暴力を用いるようになります。電車内の盗撮に始まり、強制わいせつと行為はエスカレートしていき、本人も「逮捕されてよかった。自分の力で止めることはできなかったから」と話しています。

家族が犯罪を助長していたケースは決して珍しくない

悦子は真治に愛情を感じてはいるものの、家族の力を借りなければ何もできない存在だと見下していました。裕福ではあるものの男性に支配された家庭で育ったがゆえに、男性不信が強く、対等なパートナーシップを構築することができなかったのです。

悦子は経済的に自立し、社会的地位もありますが、夫を支配しなければ安心できない精神的な弱さがあります。

真治の犯した性加害は不特定多数の女性に向けられたもので、被害女性とは面識も関係もありません。悦子にとっては、女性に心を奪われることこそが最大の屈辱であり、夫の犯した性加害と女性に与えた被害については、あまり重く受け止めていませんでした。

悦子はなかなか自分に興味を示してくれない真治に対し、父親のコネを利用して結婚話を持ち掛け、手に入れました。残念ながらこうしたやり方は、悦子が最も憎んできた権力を持つ男性のやり方と変わらないのです。いつかは気持ちが離れてしまうか、本件のように他人を巻き込んだ形で破綻するのが関の山です。

阿部恭子『お金持ちはなぜ不幸になるのか』(幻冬舎新書)
阿部恭子『お金持ちはなぜ不幸になるのか』(幻冬舎新書)

心理カウンセラーも指摘していたように、家族がイネーブラー(犯罪を助長する人)になっていることが犯罪の背景にあるケースが度々見られます。

いち早く私選弁護人を手配し、被害者と示談交渉を進めるにはお金がかかります。加害者の処罰を少しでも軽くするために多額の費用をつぎ込むことは、お金持ちにしかできません。

しかし、こうした家族の出費は、加害者の責任を肩代わりしてしまう結果となり、本人の反省に繋がらず、再犯を防ぐどころか、それを助長するという悪循環が生じてしまうのです。

世の中で起きている犯罪の原因は、決して貧困だけではないのです。

阿部 恭子(あべ・きょうこ)
NPO法人World Open Heart理事長

東北大学大学院法学研究科博士課程前期修了(法学修士)。2008年大学院在籍中に、社会的差別と自殺の調査・研究を目的とした任意団体World Open Heartを設立。宮城県仙台市を拠点として、全国で初めて犯罪加害者家族を対象とした各種相談業務や同行支援などの直接的支援と啓発活動を開始、全国の加害者家族からの相談に対応している。著書に『息子が人を殺しました』(幻冬舎新書)、『加害者家族を支援する』(岩波書店)、『家族が誰かを殺しても』(イースト・プレス)、『高学歴難民』(講談社現代新書)がある。