セツとハーンにしか通じない「ヘルンさん言葉」

長谷川洋二『八雲の妻 小泉セツの生涯』(潮文庫)
長谷川洋二『八雲の妻 小泉セツの生涯』(潮文庫)

一方、系統的には日本語を学ばなかったハーンだが、日本語の単語や慣用句を覚え、それらを動詞・形容詞は活用なしで、また英語・日本語折衷の語順で繫げて、意を通じさせようとした。出雲人の寄り合い世帯であったから、ハーンの側には確かに、「ロンドン訛なまり(コックニー)の家でホームステイしての英語学習」に比すべき困難があった。

しかし、何よりも印象的なのは、語調や表情から細かな含みまで感じ取ったセツが、その片言日本語を、ハーンの語意語法に驚くほど忠実に、また徹底して用いたことである。かくして、「ヘルンさん言葉」と呼ばれる特殊言語が形成された。

セツの日本語の語りをハーンは熱心に聞いた

13年の年月を共にして、ハーンの死を9月に控えての夏、夫婦は(東京の)西大久保と焼津の間で頻繁に手紙を取り交わしている。その手紙の中で、その言語の詳細を知ることができるが、二人以外の会話に使われた場合については、7歳で父を失った次男の巖いわおが、「八雲を語る」というラジオ番組(1934年)の原稿で、兄(長男の一雄)は習熟したが自分は死別までに、「言われる言葉を聴き分ける事だけはできました」と語っている事実をも、考慮しなければならない。ただしセツは次のように語っている。

 私ども二人だけの日本語の方は、必要に迫られて大きな進歩をみせました。この特別な日本語は、日本人の友人たちのどんなに上手な英語よりも、ヘルンにとって分かりやすいということになりまして、私の日本語をいつも喜んでくれました。ヘルンは、やがて日本語で一雄を教育したり、日本語でほかの子供たちに日本の物語を教えるようになりました。でも、松江におります頃は、私どもは会話では苦労致しまして、時々は辞書を引かなければなりませんでした。

 私は、小さな娘の頃から昔話が好きでしたので、松江におりましたその頃から、長い日本の昔話をヘルンに語り始めました。ヘルンにとって、そうした話を聴き取るのは容易ではありませんでしたが、それでも大層興味深そうに、また熱心に聴いてくれました。こうして後には、何かむずかしい言葉に出会いますと、ヘルンは、私どもおなじみの「ヘルンさん言葉で説明します」と冗談を申したのでございます。
(エリザベス・ビスランド『ラフカディオ・ハーンの生涯と書簡 The Life and Letters of Lafcadio Hearn』拙訳)

小泉セツと結婚したラフカディオ・ハーン(小泉八雲)
提供=小泉家
小泉セツと結婚したラフカディオ・ハーン(小泉八雲)
長谷川 洋二(はせがわ・ようじ)
歴史家

1940年新潟市生まれ。新潟大学人文学部で史学を専攻、コロンビア大学のM.A.学位(修士号1974)、M.Ed.学位(1978)を取得。一時期会社員、前後して高等学校教諭(世界史担当)。著書に『小泉八雲の妻』(松江今井書店、1988年)、その改定版となる『八雲の妻 小泉セツの生涯』(潮文庫)、『A Walk in Kumamoto:The Life & Times of Setsu Koizumi, Lafcadio Hearn’s Japanese Wife』(Global Books, 1997)、『わが東方見聞録―イスタンブールから西安までの177日』(朝日新聞社)がある