神絵師・葛飾北斎もまだ才能を発揮できず…

とは言え、そのためには重三郎の眼鏡にかなう浮世絵師が必要です。重三郎が欲しかったのは、歌麿のように革新的な作品が描ける浮世絵師でした。江戸時代中期を代表する浮世絵師の勝川かつかわ春章しゅんしょう(前野朋哉)の弟子・勝川春朗しゅんろう(のちの葛飾北斎、演・くっきー!)に、重三郎は黄表紙の挿絵や役者絵を描かせています。

勝川春朗(葛飾北斎)画「三代目瀬川菊之丞の正宗娘おれん」1779年、東京国立博物館所蔵
勝川春朗(葛飾北斎)画「三代目瀬川菊之丞の正宗娘おれん」1779年、東京国立博物館所蔵(出典=ColBase

しかし、春朗(北斎)の役者絵に重三郎は今ひとつ魅力を感じなかったようです。寛政6年(1794)の初め頃には春朗の作品の出版を止めてしまうと言われているからです。