石柱に刻んだ「松田」の姓
「もう一カ所、見せたいものがあります」
野中はこう言い、軽自動車は街の中心部へ下る。
「ここは昔、花街でした。遊郭があった」という通りを横目に、着いたのは出雲大社飛騨教会。
同教会は下呂温泉の発展を願って、1934年に出雲大社から分霊を受け、社殿を造営するなどして39年に設立。商売繁盛、縁結びの神様として知られている。
社殿の老朽化に伴い、新たな社殿を建設して2023年夏に完成する。
「このとき修さんに寄進をお願いしたところ、二つ返事で応じてくれて、すぐに送金してくれました」と野中。
敷地の境界には、いくつもの石柱が設えられている。石柱はまだ新しい。社殿新築に際して寄進をした人や会社の名前が、それぞれに刻まれている。野中をはじめ地元関係者に混じり、誰もが知る大物映画俳優や著名な料理人、名門料亭の関係者など、飛騨地方と縁があるのだろうか、有名人の名も散見される。
そうした中、そう数は多くない、やや大きな石柱の一つに、「鈴木修(旧姓松田)」とあった。
ここでも、「松田」としっかり刻んでいる。下呂に対して、さらに自らのルーツである松田家に対する鈴木修の愛着は、相当に深いことが窺える。
下呂の松田修というアイデンティティー
スズキ入社以来、浜松地域に66年も暮らしたのに、遠州弁を一切使わなかった理由は、「下呂の松田修」というアイデンティティーが鈴木修に内包され続けていたからだろう。会社にも地域にも彼は染まらなかった。
冷静な視座を持つ異邦人として経営を実践し、自身が言う「たくさんの経験から生まれたカンピューター(つまりはカン)」には、「下呂の松田修」というアイデンティティーがプログラミングされていた。
ちなみに、記念碑が建立された翌年まで、鈴木修は会長を務めたので、社長会長歴は43年に及んだ。
野中は言う。
「下呂の出身者としては、ブラジルはアマゾンの地域医療に貢献した細江静男(1901~1975年)さんという有名なお医者さんがいます。野口英世さんに並ぶくらいに、世界を駆け抜けました。医学界の細江さんに対し、修さんは経済分野で成功を収めた人だと思います。やはり世界を駆け抜けた」
細江は「ブラジルのシュバイツアー」などとも呼ばれたそうだ。
講演で、鈴木修は下呂や飛騨をよく話題に取り上げていた。「正月の雑煮一つにしても、下呂と浜松ではまるで違っていまして……」などと。また、「私は養子だから」も頻繁に使うフレーズだった。


