本当の愛情とは何か
愛情とは何しょうか。極端な例で考えてみましょう。ある母親は、子どもが良い成績を上げると「すごいわねえ!」と言って褒めます。しかし、悪い成績だと、途端に険しい表情になり、「何なの? この成績は!」と言って怒ります。さて、この母親が愛しているものは何でしょう? 我が子でしょうか? 違います。正解は「成績」です。もう少し正しく言うと、愛しているのは「良い成績の我が子」であり「悪い成績の我が子」は愛する対象ではない、ということになります。
ある妻は、夫の給料が上がると、満面の笑みで「すごいわ! あなた」と言ってご馳走を作ります。ですが、給料が下がると「このポンコツ!」などとボロクソに言います。この妻が愛しているものは何でしょうか? 夫でしょうか? 正解は「給料」です。正しく言えば、「高給の夫」であり、「給料が下がった夫」は愛する対象ではなくなります。このたとえは仮想の極端な例として考えたものですが、この話をある男性にしたところ、その男性は「私の妻が愛しているのは、私よりも給料かもしれない。その話、私には冗談ではなくて、マジの話です」と言って肩を落としました。
阪神ファンのAさんは、阪神が負けると周囲に当たり散らします。球場では選手に向かって罵声を浴びせます。本人は「ワシは阪神を愛しとるんや。わからんのか」と言うのですが、Aさんが愛してるのは「強い阪神」であり、「弱い阪神」は愛していません。同じく阪神ファンのBさんは、阪神が連敗し始めると足しげく甲子園球場に足を運びます。「連敗の時こそ、温かく応援するのが本当のファンだと思うから」なのだそうです。みなさんの愛情はAさんとBさん、どちらに近いでしょうか。
「無事に生まれてくれただけで十分」だったはず
お分かりかと思いますが、条件付きの愛情が強いと、「自分は愛されている」とは感じられません。そして、「自分自身が愛されている」と思っていたのに、実は「愛されているのは条件付きの自分」だということに気付いたとしたら、とてもショックです。上記のような露骨な「条件付きの愛情」であれば、本人にもわかりやすいでしょう。ですが現実には、「愛されていないのかと言われると、愛されているとは思うのだけど、何となく自分そのものが愛されている感じがしなくて、愛される自分であり続けようとしていると、だんだん苦しくなってく」と感じながら、頑張って生きている子どもや大人が少なくないのです。
愛は本来「無条件」のはずです。我が子が誕生したとき、「無事に生まれてくれただけで十分。見ているだけで愛おしい」と感じたのではないでしょうか。ですが、子どもが生まれて何年も経つと、私たちは、「親の言うこと聞く子」、「努力する子」「勉強ができる子」などの条件を付けて愛するようになってしまいがちです。どんな子どもも、どんな大人も、本当に求めているのは「無条件の愛」なのです。無条件の愛は人を育てますが、条件付きの愛は人を疲れさせ、ひどいと心をむしばみます。


