毒親でなくても、誤解が生じる

自分の親がいわゆる「毒親」のような親であると、子どもは「親に逆らったら、怒鳴られたり無視されるのが怖い」と感じて、親の言う通りに生きようとします。「教育虐待」のような例では、「成績が下がったら、愛してもらえなくなる」と思って「親から見捨てられないため」に、子どもは頑張って勉強します。そのような場合、子どもはだんだんと生きるのが苦しくなっていきます。「愛を求めているのに、愛が得られない」からです。

しかし、特に毒親と言うわけでもなく、普通の親であったとしても、子どもが人の気持ちを敏感に察知する子の場合、誤解が生じやすくなります。先に挙げたやせ症の少女のように、ふとしたきっかけで「自分は本当に愛されてはいないのかも?」という懸念や誤解が生じてしまうのです。するとその結果、毒親の子どもと同じように、「自分は親にしっかり愛されている」とは感じられないまま、「自分はいつか親に捨てられるのではないか」という不安の中で子ども時代を過ごすことになってしまいます。

苦しんでいる少女
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少子化の中の「愛情不足」

現代の日本は少子化の社会であるのに、愛情不足のようなことが起こるのは、とても不思議です。しかし、昔は多産多死の社会であり、大人になる前に多くの子どもが病気や事故などで亡くなっていました。なので親は「死なないで生きている」だけで喜びました。しかし、現代の我が国は少子化の社会となりました、すると、親は「数より質」を求め、数少ない我が子を自分が思う通りの「理想の子」に育てようとします。しかし、現実の我が子は「理想の子」になれるものではありません。すると子どもは「自分は親が望む子ではないダメな子だ。自分は愛してもらえない」と思うようになるのです。

親は我が子を理想の子に近づけようとして、あれこれと我が子に手を加えます。幼い頃からあれこれの習い事をして、疲れ果てている子も少なくありません。習い事を続けるのが苦しくなった時、辞めたいと言える子はまだ良いです。多くの子が、辞めたいとは言わずに頑張ります。それは「愛されたい」からです。辞めてしまうと親の愛を失うからです。親に愛される条件を満たそうとして、頑張り続けるのです。精神的にボロボロになりながらも、親の愛を失うまいとして、必死で頑張り続ける子どもたちを見ると、胸が痛みます。