思いがけぬところにホテルの部屋が

大正3(1914)年の東京駅開業時に発売された記念はがき。左右2枚をそろえると全体像がわかる仕組み。向かって右側の南口は乗車専用、左側の北口は降車専用。中央口は皇室専用の出入り口だった。(三宅俊彦氏蔵)

たとえば川端康成は、戦後の長編『女であること』(新潮文庫)の中で、皇居側とドーム側の2つの部屋からの眺めを次のように対照的に描いている。

《さっき、村松を誘いに寄った時は、この2階の部屋に、まだ夕日の残りが、薄くさしこんでいたが、向いの丸ビルと新丸ビルの窓は、みな明りがついて、その上の空は、夕雲と夕もやのさかいがないような、やわらかい桃色だった。2つのビルのあいだに、皇居の森が黒く沈んでいた。》(皇居側)

《市子はおどろいた。窓の金網から、乗車口が真下にながめられる。改札口をひっきりなく人の出入りするのが、正面に見える。
   思いがけぬところに、ホテルの部屋があるものだ。乗車口のドオムの裾(すそ)が八角になって、それはみな3階の客室の窓である。
「ながめても、ながめても、見あきィしまへんね。1日じゅう、にぎやかに、人が動いてるさかい……。うちに見られてんの、だれも知らはらへんしね。人の顔かて、こっからわかりまっしゃろ?」》(ドーム側)

客室だけではなく、多くの人が行き交う飲食店が存在することも駅舎内のホテルの魅力である。東京駅周辺を舞台にした恩田陸の快作『ドミノ』(角川文庫)には、次のような描写がある。

《フロントを左に見て階段を上っていくと、2階にバーとレストランがある。廊下を進むと、大きな窓があって、駅のアナウンスが聞こえてくる。ホテルの中央は、ちょうど丸の内南口改札を見下ろす形で吹き抜けになっており、吹き抜けを囲むようにぐるりと長い廊下が続いているのである。その廊下に、イタリアンレストランに隣接した短いカウンターがある。このカウンターに腰を下ろせば、目の前には丸の内のオフィス街を見下ろせる。また、立ち上がって後ろを振り返れば、南口改札のコンコースを行き交う人々を一望できるのだ。このカウンターで、昼はコーヒー、夕方からはお酒が飲める。》

思えば5年もの間、このような特別な景色が首都を不在にしていたのである。大いに待たれた再開であろう。

東京ステーションホテルは、どのようによみがえったのか。

「3階部分をすべてホテルに使わせてもらいますから、客室数は休業前の58から150へ大幅に増えました。しかし、部下には『スペックを売るな、ストーリーを売れ』と話しています。たとえば、宴会場の収容人数、ワインのストックなど数値化できることで差別化しようとすると、行き着く先は価格競争しかありません。そうではなく、このホテルならではの歴史や物語を前面に出していこうと考えています」

藤崎斉・総支配人はこう話す。

といっても、1世紀に及ぶ歴史や伝統をただ誇るだけではない。このたびの復原プロジェクトで汗をかいた建築士や作業員らの証言をたんねんに聞き取り、たとえばロビーに輝くシャンデリアの由来や、基礎部分を免震構造に切り替えた難工事の真相について、深く理解し、それをお客に伝えたり企画に生かしたりしようというのである。

「新しいものが無条件にすべていいのかというと、そんなことはありません。これまでの東京は新しいものをつくるために、古いよいものを壊してしまうことがあまりにも多かった。そうではなく『残して、使い続ける』。そこに大きな意味があると思います」(藤崎氏)

72歳の三宅氏が赤ん坊のころに見上げた赤煉瓦の外壁、川端康成が改札口を見下ろしながら小説の想を練った古風な客室。姿が残されたからこそ、私たちはそうした記憶を共有することができるのだ。伝統の駅舎の復活を、いまは素直に寿ぎたいと思う。

 

(永井 浩=撮影)
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