「2025年問題」をご存じだろうか。この年、戦後の経済成長を引っ張ってきた団塊世代が全員75歳以上の後期高齢者となる。むろん社長たちも例外ではない。そこで問題になるのが「後継ぎがいない」ということだ。今現在、「後継者難による廃業」を選ぶ中小企業は少なくない。2025年を境にその数が激増するのではと心配されているのである。その状況に企業は、経営者は、どう対処すべきか。現代の事業承継に関する情報を1冊に集めたPRESIDENT MOOK『令和ニッポン「事業承継」大全』(プレジデント社刊)から、現代の「アトツギたちの肖像」をお届けする──。(第2回/全3回)

王道だが今や少数派、親子承継の秘訣とは?

●磯﨑自動車工業/磯﨑孝会長、磯﨑拓紀社長、磯﨑充宏常務

中堅・中小企業の事業承継は「親から子へ」が常道であり王道だろう。会社の所有(株式)と経営を共に相続・承継できるというメリットがあり、社内外の納得も得られやすいからだが、最近の調査では親子間を含む親族内の承継は約3分の1と少数派だ。

「まわりを見ても、うまくいっている例は少ないですね。他の業界でも同じようなものです。県内では比較的大きな会社でも、次の社長をどうしようか……と悩んでいる話はよく聞きます」

考え考えそう語るのは、茨城県ひたちなか市を本拠にスズキの正規ディーラーや中古車販売店を手がける磯﨑自動車工業の磯﨑孝会長(76)だ。販売店がメインなのに社名に「工業」とつくのは、孝氏がこの会社を鈑金整備業として創業したからである。以来、半世紀。会社は順調に成長し、創業45年の節目にあたる2017年に、孝氏は長男の拓紀氏(43)に社長の座を譲った。次男の充宏氏(41)は常務取締役として拓紀体制を支えている。

孝氏が「うまくいっている例は少ない」というのは、どの業種でも親族へ事業承継ができている例が少なく、さらには息子に社長を譲ったとしても、「会長の世代の方々はみなさん強烈な個性の持ち主ですから、ご自分で経営判断をするタイプが多くて、実質的には承継できていない」(拓紀氏)ケースが少なくないのだという。

「うちは承継できただけ幸せだと思っています。息子たちがどちらも『継がない』と言ったら、廃業を選んでいたかもしれませんね」(孝氏)

では、同社で親子間の事業承継がうまくいったのはなぜだろうか。

拓紀氏が社長になってから、同社グループは持ち株会社制に移行し、傘下には自動車関連以外に生命保険の販売会社も設立、新規参入ながらビジネス誌に「生保販売で驚異的な実績を上げた」(「週刊ダイヤモンド」2023年7月8日号)と報じられるほどの成績を上げた。50周年を迎えた22年には3億5000万円を投資して本社屋を新築している。

磯﨑孝『成長の原動力は会社を儲からないようにする』(プレジデント社)
磯﨑孝『成長の原動力は会社を儲からないようにする』(プレジデント社)

こうした積極経営ぶりに、会長の孝氏が異を唱えることはなかった。「社屋を建てるとか生保の会社をつくるといった大きい経営判断のときは、もちろん会長に相談しますよ。でも、じっと聞いているだけで、やめろとは言われませんでした」と拓紀氏。

「よその会社なら、親は黙っていないでしょうね。黙っているのはこれで大変なんだ(笑)。例えば生保をこんなに大きく扱うなんて、私には想像できなかった。でも、時代に合わせて変わっていくのは当たり前ですからね」

孝氏はこう持論を述べる。「物事には時代によって変わっていくことと、時代とは関係なくずっと変わらないことがあります。(経営者は)変わらないことだけを守ればいい。この感覚は社長とも共有できていると思いますね」

判断の軸は伝えた。あとは自由にやってほしい、という親心だろう。

磯﨑家ではどの時期から事業承継を意識していたのだろうか。孝氏によれば「息子たちが小さい頃は継がせようという考えは全くなかった。将来、本当に自分の力になってくれるかどうか、わかりませんから」。

実力や適性が見えてきたのは、子供たちが中高生になった頃だという。「それぞれがどんな考え方をしているかがわかりますからね。例えば統率力については長男が優れていますが、社員たちとのコミュニケーションや営業力では次男が優れている。お互いが良いところを出し合えば、会社経営もうまくいくと思いましたね」(孝氏)