彼が最初に勧めてくれたのは池波正太郎の『鬼平犯科帳』シリーズでした。東京生まれの私にとっては、江戸の風物や食べ物の話はそれなりに興味深く、しばらく没頭しました。

次に推薦してくれたのが中国物。『三国志』や『水滸伝』等スケールの大きな歴史・冒険物です。しかし、毎日少しずつ読み進めるため、登場人物の中国名がすんなり入ってきません。ページを遡って確かめるのが少々煩わしく、途中で断念することも少なくありませんでした。

それを伝えたところ、彼が改めて勧めてくれたのが司馬遼太郎の本です。これが面白かった。池波正太郎が市井の名もない人々を描いているのに対して、司馬作品は幕末や日露戦争等を舞台にした英雄が主人公の作品。その歴史観を批判したり、史実との違いを指摘する人も少なくありませんが、私はそういうことはどっちでもよい。とにかく読み物としての魅力を存分に楽しみました。

さまざまな司馬作品を読んだあと最後に推薦してもらったのが、この『菜の花の沖』だったのです。

実は合併前、取締役経理部長だった私には通勤用の送迎車がついていました。しかし、合併による経費節減で、送迎車の数も1+1=2とせず、合計で1社分に大幅カットとなりました。ポストの下のほうから車を取り上げられ、私もその対象となりました。通勤の足を失って、これが本当の「失脚」かと1人で笑ったものです。

そこで、バス通勤を始めました。自宅近くに、ほとんど始発同様に乗れるバス停があったからです。席には必ず座れましたが、会社最寄りのバス停は33番目にあたり、時間にして1時間半ほどかかります。

同僚に勧められた本を読んだのは、すべてこのバスの中です。そして、高田屋嘉兵衛の生涯を描いた『菜の花の沖』も、その一冊となりました。