嘉兵衛は江戸時代後期に活躍した商人です。瀬戸内海の淡路島で貧農の子として生まれた嘉兵衛は、故郷を追われるようにして去り、船乗りとして苦労を重ね、ついには自分の船を持って商人として大成功するのですが、私が感銘を受けたのはそんな出世物語の部分ではありません。

惹きつけられたのは、主人公高田屋嘉兵衛の人間性なのです。たとえば開拓精神。嘉兵衛は当時蝦夷地と呼ばれていた北海道や千島への困難な航海に積極的に挑んでいます。

また、他人、特に配下のものたちに対する優しさ。船頭として最下級の船員に至るまで細かく心を配っています。商人としてどんな相手も差別しない姿勢も素晴らしい。当時、差別と搾取の対象でしかなかったアイヌの人々に対しても、良質の品を適正価格で売っています。

大火で職を失った人に仕事を与え、飢饉があれば食糧を原価で売る。施しはしないが搾取もしない。農耕や魚の養殖の指導なども含めて本当の意味で社会に利益還元をしています。

いつの時代においても、我々人間が「できるならこうありたいものだ」と望む理想の姿に何度も出合えたのです。まさにあっという間にページをめくっていきました。

嘉兵衛は晩年、日露関係のトラブルに巻き込まれます。国後島近くでロシアの軍艦に襲われ、人質としてカムチャツカで1年近い歳月を過ごす。しかし、捕虜の身でも人としての誇りを保ち、艦長に対しても、信義を重んじつつ裸の気持ちでぶつかったため友情が芽生えた。互いに言葉がカタコトでありながら、です。艦長は後世に残した手記に「高潔な日本人」「かれの度量の大きさが知れるにつれ、彼に対する私の尊敬はいよいよ高まった」と記しています。