「それに『定年』を意識するのは子供ができた時です。その子が大学を卒業する時に自分は何歳なのか、とね。ウチの場合は30歳の時に生まれたので、その子が順調に大学を卒業する時に私は52歳。『定年』まであと8年ある、という計算になるわけです。40歳の時に子供ができたりすると、大学卒業前に『定年』になっちゃうんで、これはヤバい。いずれにしても『定年』は子供の学校と連動して考えるんで、やっぱり学校なんですよ」

常に学校がベースになっており、年齢も「学年」のようなのである。

昔は「停年」だった

実は昭和30年代まで「定年」は「停年」と表記されていた。勤務を停止する年齢ということでこちらのほうがわかりやすい。なぜ「定年」に変えられたのかと調べてみると、「停年」と呼ばれていた時代にも、それとは別に「定年」があったのである。

その意味は「昇給昇格の最低標準年限」(『ダイヤモンド實務知識』ダイヤモンド社 昭和22年)のこと。同書に掲載されている某会社の「定年表」によると、例えば「主事」や「技師長」は定年が「2年」で昇給額は「30圓以上」。その年限内に必ず昇給・昇格させるという制度で、やはり学校の進級に似ている。

いつの間にか「停年」はこの「定年」にすり替えられたのである。なぜなのだろうか。もしかすると「定年」とは「定められた年」。「定め」というくらいでどこか宿命のようなニュアンスが込められており、だから受け入れるしかないのかもしれない。

――出世とかは、どうなんでしょうか?

不躾ながら私はたずねた。学年で上がっていくなら、役職についてはどう考えるのだろうか。

「自分より下の者が上の役職に就いた時点で終わり。このレベルで自分は終わるんだ、と思うわけですよ」

――悔しい、とか思わないんですか?

「悔しいっていえば、悔しいですけどね。肩書も息子の結婚式の時に立派なほうがいいとは思いますけどね。でも、どうなんでしょうか。個人の能力なんてそんなに変わらないと思うんですよ」

彼はしみじみとそう語った。能力より学年ということか。

「だって、ひとりで仕事しているんじゃないですから」

――そうですね。

「チームでやっているわけで、誰かが抜ければ誰かが必ず穴埋めをする。この人がいないと会社が回っていかないと思っても、現実にはそんなことありません。いなくなっても回っていくんですよ。よく『伝説のバーテンダー』とかいうじゃないですか。お客さんたちはそのバーテンダーに会うために店に通っているとか。実際にそうなのかもしれませんが、そのバーテンダーが辞めてもお客さんは来るんです。お客さんは結局、人ではなく場所で来ているんですから」