「好きなご飯のおとも」は何か

ただ、「何を言ってもいい」と言われても、実際には難しい。そこで(2)以下のルールが重要になる。誰かの発言を否定したり、茶化したりしない。ただ聞いているだけでもいい。「話さない自由がなければ、何でも話せる自由は保証されない」(同上)のだ。

そしてこうした自由な対話を「哲学対話」たらしめるのが、(4)の「お互いに問いかけることが大切」というルールだ。大勢で対話をすると、めいめいがそれぞれの意見を言いっぱなしになりやすい。哲学対話では、「なぜ?」「どういう意味?」「具体例はある?」「それ本当?」など、どんな問いでも投げていいし、「その問いかけに対しても、どんなふうに答えてもいい、答えなくてもいい、分からなくてもいい」(同上)。

哲学対話は、子どもの教育のみならず、ビジネスの場にも活動を広げている。

以前、梶谷氏に取材した際、部署内のミーティングに哲学対話を導入した事例を話してくれた。そこでいちばん盛り上がったテーマは、「好きなご飯のおともは何か」だったという。いい話ではないか。「なぜ、梅干しなんですか?」なんて問うている場面を想像するだけで微笑ましい。

その企業では哲学対話を定期的に開催した結果、部署の風通しもよくなり、会議でも意見やアイデアが活発に出るようになるばかりか、業績も自然に伸びていった。いまや、多くの社員が哲学対話の日を心待ちにしているという。また、NPO法人として活動している「こども哲学・おとな哲学 アーダコーダ」は、幼児やこどもだけでなく、ビジネスパーソンや企業向けの哲学対話研修を実施している。

徒手空拳でいきなり哲学対話を始めるのは難しく、適切な指導者や経験者にサポートしてもらう必要があるが、先述した7つのルールにもとづいて、対話の機会を設けるだけでも、空気を読まずに言葉を発するいいトレーニングになるはずだ。時間や回数に決まりはない。「なぜ働かなければならないのか」「いい会社とは何か」など、その日に対話するテーマ(問い)自体を、参加者で提案しながら決めていくやり方もある。あまり形式にはこだわらず、「何を言ってもいい場」をつくることから始めるのがいいだろう。

前回の記事では、建設的な議論をするためには、「批判的意見を歓迎する」ことが重要であることを説明した。「批判」とは、単なるダメ出しや否定、非難とは似て非なるものである。問いかけあうことで、新たな視点や気づきを得る。それこそが、批判的に考えるということだ。哲学対話は、そのための格好のシミュレーションになるのではないだろうか。

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