フランス映画でも主演はアメリカ人に

「文化の壁」とは、作品の内容に関係する事象だ。その最たるものは言語だ。たとえばハリウッド以外で海外進出に成功しているのは、イギリス映画や、中南米市場もターゲットにできるスペイン映画だ。この両国には、英語とスペイン語という言語的な汎用性の高さがある。

映画監督リュック・ベッソンが設立したフランスの映画会社ヨーロッパ・コープも、現在は製作作品の多くが英語だ。全世界的に大ヒットをした『LUCY/ルーシー』のように、主演俳優がアメリカ人であることも珍しくない。世界最大の市場である北米をターゲットとするかぎり、英語化することは必須の戦略となってくる。

日本映画はまずここで大きな壁にぶつかる。観客が字幕で映画を観る習慣が一般化していない英語圏において、日本語の段階ですでに限界が生じている。

ただし、吹き替えを使えるアニメは、この壁を超えられる利点がある。実際、北米でもっともヒットした日本映画は、1999年に公開された『劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲』だ。興行収入は8574万ドル(当時のレートで約91億円)と群を抜いている(※1)。 『君の名は。』が、世界各国で公開されるのもこの利点があるからだ。

他方、「文化の壁」を考えるときに、頻繁に持ち出されるのが「ガラパゴス化」の議論だ。これは、ガラパゴス諸島の生物のように、文化が独自の進化を遂げてグローバル展開を妨げるという論だ。映画をはじめとするポップカルチャーでも、しばしば「ガラパゴス化」が海外展開の障害だと指摘されてきた。つまり日本独自の文化や表現様式が、海外では見向きもされないという議論だ。

この点には、いささか疑問が生じる。たしかに前述したように、映画を英語化することでグローバル化対応する策は見られる。しかし、たとえば米アカデミー賞作品賞に輝いた『スラムドッグ$ミリオネア』(08年)や『ラストエンペラー』(87年)が、アジアを舞台としていたように、各文化が壁になるとは限らない。

逆に、独自の文化は利点となる可能性が高い。『君の名は。』で言えば、重要な要素として登場する神事の「口噛み酒」がそうだろう。『君の名は。』のプロデューサーである川村元気も、自身のコンセプトは「スーパー・ドメスティック」だと話す。これは、「超日本的な世界観が、いきつくところ作品の特長となる」ことだ(※2)。 『君の名は。』が世界中のバイヤーに興味を持たれたのも、この「スーパー・ドメスティック」性が作品に強く盛り込まれていたからかもしれない。