子供の頃、両親が夫婦ゲンカをすると、お袋が家にいたくないものだから、よく兄貴と僕を連れて映画館に出かけたんですよ。当時は歌舞伎町でオールナイトの上映をやっていたから、深夜にいろんな映画を見ました。ちょっと年齢が上がってくると、それぞれ見たい映画が出てくるから、お袋、兄貴と分かれて、それぞれ違う映画館に入って、「何時に集合ね」みたいなこともしていました。

俳優、映画監督 田辺誠一さん

最初に映画館で見たのは、たしかアニメの『あしたのジョー』だったと思います。僕は小さい頃から「動画」、つまり「写真が動く」ということに興味があったんですよ。調べてみたら、1秒間に24コマ、少しずつずらした絵を描いて写真に撮れば、動いて見えるんだということがわかって、目からウロコが落ちました。

もともと絵を描くのは好きだったから、動画の仕組みを知ってからは、よくパラパラ漫画を描きました。家が東京の杉並区で、近くにアニメスタジオがたくさんあったので、現場を見学したり、使用済みのセル画をもらってきて、描き方を研究したりもしました。そんなこともあって、アニメーションはよく見ていて、中・高生の頃は宮崎駿監督の『風の谷のナウシカ』、大友克洋監督の『AKIRA』に衝撃を受けました。完全に次の時代の扉が開いたという感覚がありましたよね。

高校生になると、兄貴がビデオカメラを買ってきて、自分の撮りたい映像を自由に撮れるようになりました。当時はCMやミュージックビデオが映像表現の最先端。学生時代はその方向に進みたいと思って、自主制作の作品も撮っていました。だから、本当は制作会社に入ろうと思っていたぐらいなんです。なぜ出演する側に回ったのか、いまだに自分でもよくわかりません(笑)。