60歳で本社帰還したズケズケ言う人

なかでも鮮烈な印象が残っているというのが、東レ最大のコンペティター企業である、帝人の社長を務めた安居祥策である(1997年就任)。

帝人元社長・会長 安居祥策氏(写真=時事通信フォト)

安居は、いわゆるアドバイザリーボードを日本の大企業としては最も早く導入し(社内外のメンバーに経営に関する評価・助言を受ける)、スピード感ある決定が問われる時代背景を読み、取締役の人数を9人へと大幅削減。また、積極的な買収・提携戦略など業界の常識を覆す独自の手法で事業を再構築し、帝人を活性化させた人として知られる。

だが、社長就任当初、その人事を意外に思う人は少なくなかった。安居は、それまで社長候補に挙がったことが一度もない、業界ではまったく無名の人物だった。佐々木はその頃ちょうど東レで経営企画室長としてライバル企業の動向を注意深く見守っていたという。

「安居さんはキャリアの半分以上(通算約20年)が、インドネシアなど海外子会社などでの出向生活でしたが、(帝人前社長の)板垣(宏)さんがその手腕を買ったんです。60歳で呼び戻されて取締役になって、その2年後に社長に就任しました」(佐々木)

佐々木の安居評はこうだ。仕事はとにかくできる。ただ、人間的に「丸い」タイプが出世する日本の企業風土にあって、「尖った」タイプの安居はいささか馴染まなかった。目上の人間にも、ズケズケと直言や進言をする。自分の信念を曲げることはないし、ダメなやり方にはシニカルなもの言いで批判する。だから、上司から遠ざけられてしまったというのである。