自ら計る人より自ら計らぬ人になれ

なお佐々木は、経営者ではないが、元首相の広田弘毅(第二次世界大戦で文官では唯一A級戦犯となり死刑)もあっぱれな「敗者復活の男」として一目置いている。広田は東京大学を卒業後、外交官に。エリート街道のはずが、上司に恵まれなかった。

元首相 広田弘毅氏(写真=時事通信フォト)

「当時の外務省は幣原喜重郎の時代でした。幣原は家柄を重んじ、英語は大の得意で語学の達者な有能者には目をかけましたが、それ以外の人間には無関心。貧乏な家の出で、英語があまり上手くない広田は昭和2年にオランダに左遷されるという冷や飯を食わされたのです」(佐々木)

しかし、そのとき広田は「風車風の吹くまで昼寝かな」と詠んでいる。左遷されても腐ることなく、かつてオランダが小国ながら世界を制覇した理由を探ったり、小国として生きる知恵をこれからの日本のために学んだりしたのである。

「敗者復活する男のほとんどがそうであるように、広田は夥しい書籍を読みました。座右の書は『論語』。1日の最後に目を通すことが習慣だったそうです」(同)

駐ソ大使時代に満州事変が起こり、満州国宣言や国際連盟脱退と急展開するなか、こういう時期に外交の舵取りができるのは広田だということとなり外務大臣に就任。軍部主導の政治を文民主導に変えようとしたのだ。

「小さいころからの精進と左遷による長い昼寝の間に蓄えた見識が活き、広田は次第に本領を発揮します。広田は、人に迎合しないかわりに、自らを計ることをしない。対照的だったのは、常に自らを計ろうとした外務省同期の吉田茂(元首相)。ただ、戦争を回避しようと必死だった広田は最終的に軍部の横暴を止められず、戦後、絞首刑の判決を受け、自ら計らぬ広田はそれに対して何の不満めいたことも言わずに刑に服しました」(同)

(文中敬称略)

東レ経営研究所特別顧問 佐々木常夫
1944年、秋田県生まれ。東京大学経済学部卒業後、東レ入社。プラスチック事業企画管理部長、繊維事業企画管理部長などを歴任後、2001年に同期トップで取締役就任。03年、東レ経営研究所社長就任。著書に半生を包み隠さず綴った『ビッグツリー』や『こんなリーダーになりたい』など多数。
帝人元社長・会長 安居祥策
1935年生まれ。京都大学卒業後、帝国人造絹絲(現帝人)入社。97年に社長、9 9年C E O兼社長、2001年CEO兼会長就任。
ライフネット生命CEO・会長 出口治明
1948年生まれ。京都大学卒業後、日本生命保険入社。2008年、ライフネット生命保険社長に就任。13年より現職。
アサヒビール元会長 瀬戸雄三
1930年生まれ。慶應義塾大学卒業後、アサヒビール入社。92年社長、99年に会長に就任した。
元首相 広田弘毅
1878年生まれ。東京帝国大学を卒業後、外務省に。オランダ公使など歴任後に外相。2・26事件後、首相に。
(キッチンミノル=撮影 時事通信フォト=写真)
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