古市憲寿氏

【津田】変わらないのは、日本のよさでもある。日本は何でも長持ちさせることが得意。しかもずっと同じことを続けるわけではなく、大枠を変えずに細かいところを変えて環境の変化に適応していきます。象徴的なのは、1300年続いている伊勢神宮の式年遷宮。20年に1回、ご神体を移して、伊勢神宮にサスティナビリティをもたらしている。じつに日本的じゃないですか。

【田原】その点でいうと、僕は天皇に日本らしさを感じるな。天智、天武、持統の時代は専制君主で、あとは摂関政治で利用されたり、今は天皇制という形で続いているけど、大枠はずっと変わっていない。こうした阿吽の呼吸が通用するのは日本だからだね。

【古市】阿吽の呼吸が通用してきたのは、日本が流動性の低い社会だったからです。阿吽の呼吸で通じる社会は、楽でいいのですが、今は経済がシュリンクしていて、流動性が低いままでは社会が回らなくなってきた。ここが問題ですよね。

【津田】阿吽の呼吸で回る社会には、同調圧力が強いという弊害もあります。尖っていておもしろい若者がつぶされて世に出にくくなるから、僕はあまりいいことだと思わない。

【田原】津田さん、どうすればいい?

【津田】僕はそこにネットの可能性があると思います。昔は周囲と呼吸が合わない人は孤立するしかありませんでした。でもネット時代は、「このコミュニティではダメだけれど、あっちはよさそうだ」とマッチングができる。さっき能力がなくてあぶれる人はどうするのかという話が出たけど、ネット時代ならそういう人も自分が輝ける場所や呼吸の合う場所を見つけやすい。

【古市】でも、自分に合ったコミュニティを見つけても、それがお金になるかどうかという問題は依然として残りますよね。たとえば写真が趣味の人は、フェイスブックのプロフィールに自分で「写真家」と書けば、誰でも写真家になれます。実際、月に1回くらいはきちんとした仕事があるかもしれない。しかし、それだけでは食べていくことは難しいですよね。ネットは仕事獲得の可能性を広げますが、それは誰もが可能性を手にすることを意味します。つまり競争も激化するんです。