支持候補であっても不正は徹底的に報道する
もうひとつ。ニューヨーク・タイムズはクリントン氏を支持していたのに、選挙期間中、クリントン氏のメール問題を追及する記事を遠慮なく報じていました。クリントン氏が国務長官在任中、公務に私的な電子メールアカウントを使っていた行為が不透明だと批判された問題です。支持は支持、疑惑追及は疑惑追及。ニューヨーク・タイムズの姿勢は大統領選の投票日まで変わりませんでした。
候補として支持していても、投票の直前まで不正疑惑の材料を提供し、判断を読者、有権者に委ねようとする姿勢。これがニューヨーク・タイムズの「バランス」なのでしょう。
日本のメディアは、例えば、選挙期間中、候補者の不正などをめぐる報道については、より厳密な正確性を期します。選挙報道の公平、公正、バランスを踏まえ、中途半端な報道が投票行動にいたずらな影響を与えないようにする考え方です。この点にも少し違いがあります。
どちらがベターなのか一概に言えません。いずれにせよ、「受け手」が自己責任で情報を見極め、判断するやり方は、これから重要になってくるのではないでしょうか。情報の「出し手」と「受け手」が双方で監視し合い、尊重し合い、成長し合えるやり方のほうが、民主社会の質を高めることにつながると考えます。
「情報リテラシー」は読み書き算数に匹敵する必須能力に
「情報リテラシー」の定義について、ここでは「『受け手』が自己責任で情報を見極める行為など」としたいと思います。「メディア・リテラシー」という言葉もあって、メディアが出す情報をそのまま鵜呑みにするのではなく、メディアの行動や機能を理解したうえで、その情報を主体的に見極め、批判的に評価する能力のことを意味します。
アメリカでは「情報リテラシー」や「メディア・リテラシー」の普及が進み、市民の間には、自己防衛手段として「リテラシー」を自ら身に付ける必要があるという認識が広まっています。ここでは、より広い概念の「情報リテラシー」という言葉を使います。
もはや、「情報リテラシー」は漢字の読み書き、算数の足し算や引き算に匹敵するほど、重要な基礎的能力になっているのではないでしょうか。
「情報リテラシー」は、インターネット上の情報がウソか本物か見極めたり、メディアによる不作為の誤報や情報操作、不要な忖度をチェックしたりできる力です。こうした批判的な思考力や広く深い思考力を身に付けるリテラシーが広がれば、市民に直接有益になるだけでなく、ネット情報やメディア情報の質が高まる効果が期待されています。