親が強制したことはない

二人が優秀だったのは勉学だけではない。勝麗は小学4年時、水泳全国大会の平泳ぎ部門で優勝。翌年、オーストラリア代表として出場したパンパシフィックスクールゲームズという国際大会でも金メダルを獲得した。そして神優もハイスクール時代、州代表としてオープンウォータースイミング(自然の水の中で行われる長距離水泳)の全国大会に出場した実績を持つ。

こちらも親が練習を強制したり、成績のノルマを課したりしたことはないという。彼ら自身が好きな水泳に打ち込んだ結果、“できてしまっていた”のだ。

さてこのあたりで、渡豪してからの土方氏自身を振り返ってみたい。

シドニー暮らしを始めてほどなく、自宅近くのテニスクラブでのスタッフコーチ職を得た土方氏は、やがて同じシドニー内でテニススクールを営んでいる日本人コーチと知り合うことになった。二人の交流が深まるうち、近くアデレードに住まいを移すことが決まっていたそのコーチは、土方氏にスクール経営の引き継ぎを打診する。土方氏もそれを受諾してスクールの経営権を買い取り、2000年に『マックヒジカタ・テニスアカデミー』を開業した。マックとは、土方氏の名前の誠に由来するオーストラリアでの彼の愛称だ。

次男の凛輝誕生。非凡なテニスセンスと闘争心

翌2001年、次男の凛輝りんきが誕生する。

土方氏は子供たちが幼い頃、それぞれにテニスの手ほどきをしてきたが、凛輝だけには上の二人にない非凡なテニスセンスと闘争心を見て取った。文武両道の「武」の分野では自分が果たせなかった夢のまた夢であるグランドスラム制覇、それを成し遂げてくれるのはこの子だと確信した彼は、アカデミーでのレッスンの合い間に凛輝とボールを打ち合った。

3姉弟にそれぞれテニスの手ほどきをしたが、凛輝だけには特別なセンスと闘争心があった。
写真提供=土方誠さん
3姉弟にそれぞれテニスの手ほどきをしたが、凛輝だけには特別なセンスと闘争心があった。

とはいえ、『巨人の星』のようなスパルタ式で我が子を鍛えたわけではない。毎回、前もってその日のトレーニングの目的を説明し、凛輝に納得させてから練習を始めた。そのうえで折を見て、グランドスラムで優勝する選手を目指しているのだと本人に意識させた。

ただ土方氏が何よりも大事にしていたのは、凛輝がテニスを「楽しい」と感じる気持ちだ。仕事柄、親の強すぎる期待が重圧になり、若くして燃え尽きてしまった選手を、何人も見てきた。その轍だけは決して踏んではならないと、彼は肝に銘じていたのだ。

凛輝は幼少期からテニス一筋だったわけではない。姉や兄と同じように水泳をやったし、冬は陸上クラブにも顔を出した。オーストラリアは日本のように子供が早くから特定の種目に絞らず、同時に複数のスポーツを楽しむ土地柄なせいもあるが、アスリートとしての総合的な運動能力を身につけるため、土方氏の側からそう仕向けていたところもある。