全米オープンに憧れて硬式テニスに転向
東京生まれの土方氏は、高校までソフトテニス部に所属し、西東京大会で優勝するほどの腕前だった。ところが高2の時、全米オープンのテレビ中継を見てすっかり心を奪われ、硬式テニスに転向する。
「恐れ多いことに、『今から始めても、自分ならあの舞台に立てるんじゃないか』と思っちゃったんですよね」(土方氏、以下同)
プロを目指し進学した日本大学では、セレクションを受けて体育会テニス部に所属。当時の日大は国内屈指の強豪でありながら、高校時代に無名だった選手でもセレクションに合格さえすれば、入部を許された。それを知った土方氏は、ソフトテニス仕込みの強烈なフォアハンドを見せつけてセレクションをパスしたのだ。
だが当然のことながら、1年程度の硬式キャリアでは大学トップクラスの選手と渡り合えるはずもなかった。
「学生テニスでさえ通用しないのにプロ、ましてや世界クラスに行き着くなんて無理だと現実を突き付けられ、目標を失ってしまって体育会は1年ほどで退部しました」
アルバイトと株の収益を貯めてアメリカへ
その後は、当時盛況だったテニススクールでのコーチのアルバイトに精を出し、月に40万~50万円ほど稼いでいた。さらに彼は、高校生の頃から株式投資も行っていた。
「普通のサラリーマン家庭でしたが、父も祖母も株をやる人だったんです。私も祖母から譲り受けたわずかな株を元手に見よう見まねで始めたところ、かなり増やせたんですよ」
大学時代はアルバイトと株の利益で、相当な金額の蓄えがあったという。
卒業後、彼は以前からの夢だったアメリカ遊学を実現させる。学生時代に稼いだ額の一部を費用に充て、それが尽きるまで滞在する算段だった。英語などまったく話せなかったが、行けばなんとかなるさと海を渡り、いくつかの大学の英会話コースを受講して回った。やがて学生ビザが切れたのを機に、ロサンゼルスの日本語フリーペーパー発行元で職を得た土方氏は、新規地域開拓のためニューヨークへ派遣されることとなった。
ある時、現地の日本人コミュニティーのビジネスパーティーに参加した土方氏は、ハーバード大の大学院で教育学の修士号を取ったという同年代の女性を紹介される。お互い惹かれるものがあった二人はほどなく交際を始め、やがて結婚の運びとなった。
となると、式を挙げねばならない。さらに土方氏のビザ切れでアメリカ暮らしの先行きが見えなくなってきたこともあり、二人は日本に帰国して所帯を構えた。結婚するにあたり、土方氏は妻となる純子さんに、ある“宣言”をしている。


