子供たちを日本語環境から遠ざける

1998年、勝麗が5歳、神優が3歳の年に一家はシドニーへ移住。かつて土方氏がアメリカ遊学を決めたときと同様、勢いでオーストラリア生活を始めたかのように受け取れるが、子供の将来のための土台作りだけは入念に行った。オーストラリアの中でもシドニーを選んだのは、妻の仕事上の知り合いが住んでいて現地の情報が得やすかったからだ。その知り合いにシドニーで一番優秀だとされる公立小学校を事前に教えてもらい、子供たちが就学年齢になったら通えるよう、学校のすぐ近くに自宅を構えた。

日本ではスイミングスクール以外、子供たちを幼児教育塾や英会話教室などに通わせたりはしなかった。しかし渡豪後の我が子の英語習得に関しては、細心の注意を払ったという。

「長女がオーストラリア特有の教育制度である就学前児童クラスに入った時、同じように渡豪してきたばかりの日本人の子供が他に何人かいたんです。そこで学校側が、みんな英語がしゃべれないだろうからと配慮してくれて、日本人生徒全員を同じクラスにしようとしてくれたんですが、私は『それはやめてください』とお願いしました。いつも日本人の子供同士で固まっていると、英語の覚えが遅くなりますからね」

両親の覚悟の表れ

また当時シドニーに移住してきた邦人の間では、日本が恋しいだろうからと子供のために日本のテレビ番組のDVDを調達し、見せてやったりする家庭が多かった。しかし土方氏は、いつまでも日本語環境の中に身を置いていると英語習得の妨げになると考え、我が子にその手のコンテンツはいっさい見せなかった。さらには、シドニーで暮らす邦人子弟のほとんどが毎週土曜に通っていた日本人学校にも行かせていない。

それはもちろん、いつか日本の学校に戻るときのための備えなど必要ない、オーストラリアの教育環境の中で子供たちを学ばせるのだ、という両親の覚悟の表れだった。

おかげで長女も長男も、就学前児童向けの英会話習得コースはすぐに卒業。長男の神優など日本にいた頃は引っ込み思案だったのに、あけっぴろげなオーストラリア人の友達と遊ぶうち、性格まで社交的になったという。