藩内で出世しながら、絵や喜劇パロディ小説を手がける

春町は武士として留守居役、重役加判などの要職を歴任しますが「裏の顔」がありました。芸術家としての顔です。当初、浮世絵師を志し鳥山石燕(片岡鶴太郎)に師事しています。石燕は狩野派の絵師であり、妖怪絵(『百鬼夜行』)を得意としたことで知られています。喜多川歌麿の師匠でもありました。さて安永2年(1773)、『当世風俗通』(若者向けの女郎買いの指南書)という洒落本が刊行されますが、そこに描かれた絵は春町が描いたものとも言われています。

「べらぼう」でも紹介された恋川春町作・画『廓■費字尽』
「べらぼう」でも紹介された恋川春町作・画『廓■費字尽』(版元:蔦屋重三郎)、天明3年(1783)※■はたけかんむりに「愚」(国立国会図書館デジタルコレクション

同書の作者は戯作者・朋誠堂喜三二(1735〜1813)とされます。喜三二(尾美としのり)の本名は平沢常富と言い、彼もまた武士の家に生まれています。喜三二は秋田佐竹藩士として近習から留守居役にまで昇進しました。社交サロンとも言うべき吉原通いを続けた喜三二は「宝暦の色男」を自称しつつ、黄表紙を執筆していきます。彼の代表作の1つに『見徳一炊夢』(1781年)があります。「べらぼう」の歌麿の登場回(18回「歌麿よ、見徳は一炊夢」)で吉原に居続け「腎虚じんきょ」となり衰弱する様はまさに「色男」の面目躍如?といったところでしょうか。