留年制度を廃止したきっかけ
20年間、校長としてさまざまな学校改革に取り組んできましたが、中でも一番の改革は、原級留置、いわゆる留年をやめたことです。
きっかけは不登校への対応でした。欠席日数を数え、落第がちらつく不安な状態ではどんな対応をしても大した効果はありません。それよりは、進級させることで本人にも保護者にも安心してもらうことが重要だと考えたのです。
学校という場所は「毅然たる」という言葉が好きですから、当然反発もありました。私は、いちどは引き受けた生徒なのだから長い目で見ていきたいと話し、不登校の原級留置をやめました。そして、不登校の生徒が自分のペースで学習できるようにと、神奈川私学修学支援センターの設立に動き始めたのです。
その後には、成績不振者の原級留置もやめてしまいました。成績不振者には「あすなろ講座」という、OBが先生役を務める補習授業を行っています。
安心感がないと、知性や感性は育ちにくい
進級できるという安心感があれば、生徒も焦ることなくさまざまなことを考えられますし、親の側にもゆとりが生まれます。
そうした安心感がないと、学業も手に付かず、この社会を生き抜くために必要な知性や感性も育たないと思うのです。
中高時代に不登校だった生徒とは、卒業後も関係が続くことが意外と多くあります。社会人として活躍している姿を見るにつけ、長い目で見ると違ってくるものだと実感しています。
学校によっては、不登校の生徒を進級させるかどうかを職員会議で2時間も3時間もかけて決めるのだそうですが、果たしてそれは、何のための時間なのでしょうか。ルールだから、他の生徒に示しが付かないからというような縛られたやり方で、生徒は本当に育つのでしょうか。学校は、生徒の将来の道を閉ざす存在であってはなりません。建て前はいったん傍に置き、本当に生徒に必要なことについて柔軟に考えていくことが、学校の役割なのですから。

