異変が起きたのは母親が78歳の時のことだ。独立しているひとりっ子の42歳の娘はアルツハイマー型認知症や胃がんに罹患した母親のケアをするが、保険会社の強引な訪問営業に遭うなど目を離せない状況に。仕事と介護を両立させるべくハードな日々を送る娘は重大な決断を下す――。(前編/全2回)
シニア女性の手元
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この連載では、「シングル介護」の事例を紹介していく。「シングル介護」とは、主に未婚者や、配偶者と離婚や死別した人などが、兄弟姉妹がいるいないにかかわらず、介護を1人で担っているケースを指す。その当事者をめぐる状況は過酷だ。「一線を越えそうになる」という声もたびたび耳にしてきた。なぜそんな危機的状況が生まれるのか。私の取材事例を通じて、社会に警鐘を鳴らしていきたい。

成人後に両親が離婚

近畿地方在住の高蔵小鳥さん(仮名・40代独身)は、製造業に携わる父親と、飲食系の会社の経理の仕事をしていた母親の間に一人っ子として育った。家には父方の祖父母が同居しており、1年を通じて頻繁に親戚との交流があり、家族で旅行や外食に出かける穏やかな家庭だった。

「両親が何で出会ったか、何歳で結婚したのかもはっきりはわかりませんが、母は34歳くらい、父は26歳くらいで結婚していると思います。出産は母が36歳くらいのときで、2回流産をしていると聞いています。一人っ子で大人の中で育ったので、なんでもしてもらえる、そんな甘やかされた幼少期だったと思います。父は優しい人でしたが、あまり印象に残っていません。母は社交的な人で、私はのんびり屋でした」

両親は高蔵さんがしたいことを尊重し、勉強や交友関係に一切口を出さなかった。

「母とは、よく言う姉妹のような関係ではなかったのですが、仲は良く、私は反抗期などもありませんでした」

何不自由なく成長した高蔵さんは、大学も実家から通った。やがて大学を卒業した高蔵さんは、オリジナル雑貨の製造販売の会社に就職。最初の配属先は近畿地方だったため、実家から通勤した。

ところが、高蔵さんが就職して間もない頃のこと。父親が海外の女性と不倫関係に陥り、母親に離婚を迫った。

「父はいわゆるハニートラップにかかり、相手の女性を支えたいからと言って、母に無理やり離婚を迫ったそうです。私は詳しいことはよくわかりませんが、母は離婚に応じ、父は出て行きました。父の両親(私の祖父母)は叔母(父親の妹)の家へ引っ越して行きました」

その後、高蔵さんは関東へ赴任することになり、2年ほど実家を離れた。

高蔵さんはお盆と年末年始の年に2回ほどは実家に帰省していたが、母親は母親で、友だちと旅行に行ったり、趣味の体操をしたり絵を描いたりして過ごしていたため、寂しがっている様子はなかった。

その2年後、高蔵さんは近畿地方に転勤になり、再び実家に住まうようになったものの、以降は海外、東京とめまぐるしく配属先が変わり、再び近畿地方に戻ってきた。その頃には別の職種に興味を持ったため退職し、教育関係機関の事務員として再就職した。