※本稿は、折茂肇『ほったらかし快老術』(朝日新書)の一部を再編集したものです。

老化による身体的な変化も「なんとかなる」と考える
老化は進みこそすれ、戻ることはない。予防や、乗り切るための知恵と工夫にもいずれは限界が来るだろうし、それはそれとして受け入れ、あまり深刻に考えないことも大切だろう。
トータルケアをする上では、精神的・心理的なケアも欠かせない。臓器がそれぞれで関係し合っているように、体と心もつながっている。心が不健康な状態になれば体の状態も悪くなってしまう。
衰えてしまったことやできなくなったことを嘆くのではなく、いや、嘆いてもいいのだが、そこであきらめるのではなく「じゃあ、どうする?」と発想を転換させて「できること」を考えてみる。あるいは、「なるようになるさ」と開き直って、考えることを放棄したっていい。私は「たいていのことはなんとかなる」ととらえているから、思い悩むこともないし、自分のできることをしながら毎日気ままに生活できている。
90歳で糖尿病でも、気にせず好きなものを食べている
私には糖尿病の持病があるが、食べたいものを食べている。お酒も飲んでいる。血糖値だけでなく血圧も肥満も気にせず、好きなものを自由に食べたり飲んだりしているから、全然やせない。でも、そのおかげで90歳になってもフレイル(健康と要介護の間の状態)にならず、転んでも骨折せず、杖を使ってでも自分の足で歩いて仕事に通えているのだと思っている。
一般的に、糖尿病といえば、糖質を制限し、カロリーや脂肪分も控えめにし、野菜中心の食事にすることが望ましいといわれている。しかし、私は医師であるが、その必要性を感じていない。むしろ、糖質を気にして食べたいものを我慢することや、あれもダメ、これもダメと制限されることのほうがよほど体に悪いと思っている。それは、私自身が食べることが好きで、自分の好きなものを好きなように食べたい、好きなお酒も我慢せずに飲みたいという思いが人一倍強いせいもある。
また、75歳を過ぎたら、細かいことは気にしないというほったらかしの精神によるものもある。
しかしそれだけではなく、75歳以上になると病気のリスクがそれまでとは変わることに基づく考えもある。この年になったら、若いころの常識にとらわれなくていいことも増えるのだ。