書くことが唯一の生きる証し

この手紙を受けて、新聞『日本』の編集長は「死ぬまで毎日載せる」と約束し、連載が再開。子規は連載記事を新聞社に送るための封筒を依頼し、100枚の原稿を送り続けました。

これに対して新聞社は300枚の封筒を送り、子規を励まし続け、子規は100回の連載をやり遂げました。

「この百日といふ長い月日を経過した嬉しさは人にはわからんことであらう。しかしあとにまだ二百枚の状袋がある。二百枚は二百日である。二百日は半年以上である。半年以上もすれば梅の花が咲いて来る。果たして病人の眼中に梅の花が咲くであらうか」
『病牀六尺』(岩波文庫)

そうやって子規は死の直前まで連載を書き続け、ついに最後までやり遂げたのです。

「余は今まで禅宗のいはゆる悟りといふ事を誤解して居た。悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた」
『病牀六尺』(岩波文庫)

子規はそう語り、どんなに苦しくても生きることによって楽しみを見出すことが大切だと説きます。子規にとっては、書くことが唯一の生きる証しであり、楽しみでもあったのでしょう。

正岡子規の自画像
正岡子規の自画像(画像=国立国会図書館/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons
富岡 幸一郎(とみおか・こういちろう)
文芸評論家

1957年東京都生まれ。中央大学文学部仏文科卒業。少年時代はプロ野球選手を目指していたが、中学1年生のとき、三島由紀夫の割腹自殺のニュースをきっかけに三島作品に触れ、文学に目覚める。大学在学中の1979年「意識の暗室 埴谷雄高と三島由紀夫」で第22回群像新人文学賞評論部門優秀作受賞(村上春樹氏と同時受賞)以来、45年にわたって文芸評論に携わり、研究を続ける。1991年にドイツに留学。2012年4月から2023年3月まで鎌倉文学館館長。現在、関東学院大学国際文化学部教授。著書に『使徒的人間 カール・バルト』(講談社文芸文庫)、『〈危機〉の正体』(佐藤優共著・講談社)、『川端康成 魔界の文学』(岩波書店)など。