引っ越しで得た市のメンタルサポート
事態が動いたのは2年前、郊外の市へ引っ越してからだ。
若者の就労支援事業はどの自治体にもあるが、その市には就労支援に行けない子たちのための「就労支援準備事業」があり、市から委託された団体が「メンタルサポート」事業を行っていた。
「メンタルサポートには各種イベントやプログラムがあり、『行きたい時だけ、来てください』と週1の頻度で電話が入る。次男はこれまでさつまいもの収穫や、庭の手入れ作業などに数回参加。定期的に面談をし、将来の方向性も一緒に考えてくれる。定時制高校の選択肢もあったのですが、いろいろ一緒に見学した結果、次男は他市の就労移行支援事業所への通所を希望し、そのためには3回の体験プログラムをしないといけなくて、でも次男はその3回のプログラムを10回以上もキャンセルしてしまった。それをメンタルサポートの方が調整してくれて、契約できるように動いてくれて。今は月に10日、オンラインでプログラミングのトレーニングも受けています」
このかんの流れが、今までとあまりに違い、尚美さんは驚きを隠さない。
「私は本当に何にもしなくて、こんなに任せられるんだって驚きでした。今までの自治体なら、自分ですべて調べないといけない。しかも運よくサポート先を見つけても、それも何カ月待ちだと言われてしまう。次男のように完全にひきこもりになった者にとって、ここまで一人ひとりに手厚い充実したサービスは、どれほど有難いことか。正直、家族では担いきれません。自治体に救われました」
人は捨てたもんじゃない
尚美さんには、金縛りに遭うほど恐怖を感じるものがあった。それは、次男の未来だ。
「私と長男以外、次男と関われる人は誰もいなくて、私が死んだら終わりだって、それが恐怖でした。自分が死ぬのはいいけれど、次男は誰ともつながっていないので、どうなるんだろうって」
一方、長男に関しては最近、強く思うことがある。
「あの子は、『人は捨てたもんじゃない』とわかってきた。人は、悪い人ばかりではない。助けてくれる存在でもある。人ってあったかいって、今はちゃんと理解できています」
幼少期の、人との関わりを一切必要としない頑なさから、何という成長なのだろう。長男に比べれば次男の世界はとても狭く、まだ、他者との画期的な出会いはない。それでも今、次男は支援機関につながった。ケアワーカーのあたたかさの中で、少しずつ微々たるものであっても、前に動き出している。
「今は私が死んでも、あの人たちと定期的に連絡が取れているから、何とかなるんじゃないかなって、だいぶ、ラクになりました。自治体とつながることは、こんなに大きな安心感をもたらすのかと。私、今は何もしてないんです、ホントに。ただ、引っ越しただけで……」
話し終えた尚美さんは、顔を上げ、晴れやかに笑った。そんな尚美さんの笑顔を見るのは、初めてかもしれなかった。
「私、やっと気がついたんです、私が楽しくしていればいいんだって。次男にはごはんを作る以外、何のサポートもできていないけど、それでいいのかなって思えるようになったんです」
絶望し、悲嘆に暮れ、涙、涙の日々だった。でも今、子どもたちが確かな気づきを尚美さんにくれた。お母さん、笑っていて。他の子たちと違うかもしれないけど、僕たちのリズムで今は家族3人、生きていこうよ、と。
福島県生まれ。ノンフィクション作家。東京女子大卒。2013年、『誕生日を知らない女の子 虐待――その後の子どもたち』(集英社)で、第11 回開高健ノンフィクション賞を受賞。このほか『8050問題 中高年ひきこもり、7つの家族の再生物語』(集英社)、『県立!再チャレンジ高校』(講談社現代新書)、『シングルマザー、その後』(集英社新書)などがある。