がん闘病中も仕事へ
さらに、48歳のときの健康診断で乳がんが見つかったことも人生を見つめ直す機会になった。がんが見つかったのは横隔膜の近く。気づきにくい場所だったため、「見つかったのは奇跡に近い」と言われた。ただ、ステージ4まで進行しており、強めの抗がん剤治療をすることになった。
触っただけで髪がばさりと抜けて、寝たきりになった時期もある。「精密どころか、何をする気もおきなかった」。
それでも、少し体力が回復すると帽子をかぶってパート先に顔を出した。次女で、現在泰交精器の専務を務める前田梨紗さん(37)は「具合が悪いときはぐったりしていたけど、少し良くなれば普通に会社に行く。全然弱音を吐かず、前向きに生きていましたね」と振り返る。
苦しい時期を支えてくれたのは子どもたちだった。長女はちょうど大学の医学部に在学中で、医学的な観点でアドバイスをくれた。前田さんは常に近くにいて、少し元気になると「ウィッグ見にいく? 帽子、新しくしてみる?」と聞いてくれた。長男は口数は多くないものの、食事を取っているかなど気にかけてくれた。「ひとりでは闘えないけど、私のバックには子どもたちがいてくれると思うとちょっと強くなれました」(田中さん)
元気になるにつれ、「拾った命だから、人のために」が口癖になっていった。
起業のタイミング「全部揃った」
起業のタイミングは突然やってきた。パートで勤めていた会社を出たい気持ちが高まっていたところに、場所を貸してくれるという人が現れた。現在取引先になっている会社から、精密加工部品の検査を担ってくれる会社を探している、という話も聞いた。義理の息子である前田さんの夫も起業を考えており、一緒に場所を借りたら家賃を抑えられることも背中を押した。
「全部揃ったんですよ。これってもしかして『やってみろ』っていうことかな? じゃあ、始めようって」
54歳で起業。「女性が働きやすい会社」を目指した奮闘が始まった。
後編に続く
京都生まれ。小学生の3年間をペルーで過ごす。大学院修了後に半年間バックパッカーで海外をめぐった後、2006年に朝日新聞社入社。青森総局、東京社会部、文化くらし報道部などを経て2023年に退社。関わった書籍は『「小さないのち」を守る』『Dear Girls』『平成家族』『調理科学でもっとおいしく定番料理』(いずれも朝日新聞出版)。ヨガインストラクターとしても活動。