食事の理由は人それぞれでいい

食べるのが好きという人でも、その多くは、「うまい」がプライオリティになっているのではないかと思います。高級だったり希少だったりする食材や、まずくなりようがない旨味の強い食材。そして、それらをふんだんに使った料理に興味がある。音楽でいうと、いかに耳当たりがよいか。ビジュアルアートでいうと、いかに美しいか。普段本業で疲れているのだから、おいしいものを食べるときくらい、何も考えずに楽しみたい、こういう向きもあるでしょう。

あるいは、食事は、友人と豊かな時間を過ごすためのお供だったり、接待で取引先を喜ばせて商談につなげるためのツールかもしれない。僕の周りには、何を食べるかではなく、誰と食べるかが大事、という人も多いです。これも、ひとつの考え方としてありだと思います。

食事に興味がある人の中でも、自分で作って食べるのが好きだったり、誰かに料理を振る舞うのが好きという人もいます。これもまた、料理をしない僕からしたら素敵だと思います。その他、外食するとしても、お店の雰囲気で選ぶ人がいれば、価格帯で選ぶ人もいる。同じものを食べ続ける人もいれば、未知のものを食べてみたい人もいる。いろんな食への関わり方があっていいと思います。

オープンキッチンで盛り付けをしているシェフ
写真=iStock.com/FilippoBacci
※写真はイメージです

料理人が作る、外食にしか興味がない理由

僕自身は、食の中でも外食に興味を持っています。そして、食を通して料理人というクリエイターの作品を鑑賞し享受することを目的にしています。僕は音楽も食と同じくらい好きなのでよくライブやフェスに行くのですが、アーティストのパフォーマンスを鑑賞して楽しむのと同じ感覚で、レストランで料理人の料理をいただいています。食だけじゃなく音楽でもビジュアルアートでも同じですが、自分にはないオリジナリティを自分自身が作った作品から感じるということは、偶然の産物でない限りありませんよね。なので、誰かが作る食事にしか興味がありません。

端的にいうと、僕は外食に特化していて、料理からクリエイティビティを享受するために食べている。同時に、人それぞれ人生の優先順位が異なり、食をどう位置づけるかも違うので、そうでない食との接し方を否定するものでは全くありません。いずれにしてもいえるのは、食は生物として生まれてきた限り、関わらざるを得ないものだ、ということです。そして、一生のうち、食べられる回数は限られています。僕は、その1回1回を大切にし、好奇心が満たされる文化的にも有意義な体験にしたいと思っていますが、あなたはどうでしょうか?