昭和天皇とも生物学の話で意気投合し2時間も話し込んだ

敬三は大蔵大臣に就任して半年後、内閣総辞職により蔵相を辞任するが、戦後の混乱の中、預金封鎖、新円切り替えなどに取り組んだ。その後、高松宮家の財政顧問となる。

ちなみに、昭和天皇も生物学の研究で知られている。「後年大蔵大臣を勤めていた当時、政務奏上のために(昭和)天皇陛下に拝謁したが、たまたまヒドラや海牛の話となり、財政の政務はそっちのけで二時間近くも話しこんでしまい、後で陛下が、『渋沢はいったい何の大臣であったか』とお聞きになったという話が残っている」(『父・渋沢敬三』)。

ここにも、ホントは生物学者になりたかったけど、天皇家に生まれたから、やむなく家業を継いだ、悲しい名君の存在が示唆される。

意外に適性というものは本人にはわからないものらしい。かくいう筆者も本業はソフトウェア技術者で、この原稿を土日に書いている。

菊地 浩之(きくち・ひろゆき)
経営史学者・系図研究者

1963年北海道生まれ。國學院大學経済学部を卒業後、ソフトウェア会社に入社。勤務の傍ら、論文・著作を発表。専門は企業集団、企業系列の研究。2005~06年、明治学院大学経済学部非常勤講師を兼務。06年、國學院大學博士(経済学)号を取得。著書に『企業集団の形成と解体』(日本経済評論社)、『日本の地方財閥30家』(平凡社新書)、『最新版 日本の15大財閥』『織田家臣団の系図』『豊臣家臣団の系図』『徳川家臣団の系図』(角川新書)、『三菱グループの研究』(洋泉社歴史新書)など多数。