始皇帝が天下統一する140年前に秦の商鞅が行った大改革

春秋時代から戦国時代に変わって40年ほどのちに、孝公は秦の君主となった。嬴政えいせい(のちの始皇帝)が天下統一を果たす140年ほど前にあたる。

当時は七国のひとつであるが覇権を握っており、秦は大きく領土を奪われていた。孝公は勢力の挽回を図るため、即位と同時に広く人材を求めた。このとき抜擢されたのが商鞅しょうおうである。商鞅は「法家」の思想を前面に取り入れた一大政治改革を孝公に申し出た。

戦国時代の初期、東周の凋落ちょうらくを見た各国は富国強兵を目指し、政治体制や軍制の改革を模索していた。こうした改革を「変法へんぼう」といい、その内容は国ごとに異なっていたが、商鞅が立案した変法ほど極端なものはほかにはない。商鞅の変法は、秦を中国大陸史上存在したことのない国に変貌させてしまう、苛烈な改革案だった。そうした動きに対して国中から猛烈な反発が出たが、孝公は反対の声を完全に押さえ込んで、商鞅の思う変革を実現させる。

のちに六国を平定したときも、秦は商鞅の法家思想にのっとった制度で国を治めていた。孝公と商鞅は、およそ140年後に嬴政が達成する中華統一に向けて、その最初のレールを敷いたのである。