成果主義がうまくいかなかった理由

【江夏】洗い替えは2000年ごろに各社が採り入れた成果主義の流れですね。出来高給という話ではなく、ベースはあくまで職能給で、一部分の成果貢献給の部分に関し、評価を洗い替えにした。

そのためには、能力向上にもつながるような成果目標を上司と部下が共同できちんと立て、合意し、折々で達成度合いを確認することが必須です。こうしたコミュニケーションを、上司は自分の一番大事な仕事だと思っておらず、片や部下のほうも、この仕組みによって、結果や成長を成し遂げ、キャリアをよりよいものにしていく、という意識が希薄でした。結果として、能力開発の面でも処遇決定の面でも成果主義はうまく機能せず、評価に関して、グダグダの年功的運用という悪弊が改まらなかったわけです。

成果主義的な評価制度がうまくいかなかった背景には報酬原資を企業が渋ったこと、多段階評価の複雑性があり、一概に評価者を責めるわけにもいきませんが、能力開発や目標共有の機会を逸したのはもったいなかったです。

会社として、社員一人ひとりをどうマネジメントし、その貢献を自分たちのビジネスの成功にどう結び付けていくか、そのためには柔軟で明確な働き方をどう実現していくか、という発想が重要になるのですが、それが不足していました。そうした姿勢がない限り、評価を洗い替えだけしても、うまくいかないのではないかと思います。

従業員業績評価を書いている人の手元
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査定もキャリアも「見える化」して、選択可能な社会に

【海老原】その点、外資系企業の査定って、シビアですよね。査定結果に対し、本人が「納得しました」とサインをしない限り、終わらないんです。権利意識が強いアメリカでは、生半可な説明ではサインしてくれません。だから、当初目標が納得いくようなものになっています。たとえば低査定の人用には、「嘘をつかない」「アポは5分以上遅れない」などといったショボい項目になっています。そして、その約束が破られるごとに、「はい、査定で評価落とすよ」と日常的に宣告していくと。

【江夏】評価基準が数値化という意味で客観的になっているのか、という問題は実はどうでもいいのではないかと。一番大切なのは、上司と部下がお互いに納得した上で、握ったものになっているかどうかだと思います。そこを握っておくと、部下はそれ以上に過剰に働かなくていい。自分のライフプランはこうだから、このくらい働きたいと主張できる。

それに対し、「報酬をもう少し積むからもう少しやってくれないか」と上司が言い、部下が「それだったら、ライフプランを修正し、もう少し働くようにします」と言える。日本企業の場合、現場の管理者が人事権とりわけ人件費の裁量を持っていないからこうした交渉や合意形成が難しいわけですが、このやり取りができないと、女性の働きにくさという問題も変わらないでしょう。

【海老原】そこですよね。前回私が提案した「80%で働く」仕組みも、今回の「洗い替え型」も、そもそもの査定自体がいい加減であれば、何も機能はしません。