母親の言いなりの大文人

舞姫』や『山椒大夫』『阿部一族』といった作品で知られる森鴎外は、母峰子に頭が上がらず、その言いなりであったことはよく知られている。

峰子は、もともと難しい読み書きができなかったが、息子に指導するために、自ら勉強して、漢文なども身に付けたという。そして、鴎外が文筆活動で忙しくなると、校正をしたりして秘書役を務めた。

鴎外が結婚してからも、息子に対する干渉を同じように続けたため、妻との関係がおかしくなってしまった。それでも、鴎外は母親の干渉を余計なお世話だとは思わず、むしろ感謝していた。

鴎外は、代々医者の家系に生まれた期待の男の子であり、しかも父親も祖父も養子だったため、ことさら期待をかけられて育った。医者となって家業を継ぐことが最初から決められていたのである。物覚えが良く、優秀だったため、一家の期待はさらに大きく膨らむ。年齢をごまかし、飛び級で、第一大学区医学校(現東京大学医学部)に入ると、エリート街道をひたすら歩むこととなる。

現実を回避してしまう不甲斐なさ

そんな鴎外には、どこか主体性に欠け、運命に逆らえないところがあった。現実的な社会問題に直接切り込むことは避け、歴史に題材をとった仮構として、極めて間接的な形で、その悲劇性を描こうとした。そうした創作における態度は、実生活において、もっと顕著な形でみられた。

作家として立つことは無論避け、医者でありながら、生涯公職に身を置き、役人として生きたことも、教職を辞して筆一本で生きていく決断をした漱石とは対照的である。何重にも保険をかけた、安全第一の生き方だと言えるだろう。

情緒的なややこしい問題になると、自分で対処しきれず、頰かむりしてしまうところもあった。ドイツに留学したときに、ベルリンである女性(自伝的小説『舞姫』では「エリス」、以下「エリス」)とねんごろになるが、鴎外はエリスとの関係をきっぱりと後始末をしないまま帰朝した。そのため、鴎外の帰国からわずか二週間後、エリスは彼を追って日本までやってきてしまう。

結局、エリスを説き伏せて、ドイツに帰らせたのは、鴎外自身ではなく、彼に泣きつかれた親戚や家族で、鴎外はエリスとろくに会いもせずに、逃げまわっただけであった。

そんな不甲斐ない現実とは違い、エリスとの恋愛事件が描かれた『舞姫』では、彼の愛を失ったエリスは絶望し、精神に異常をきたしたことになっている。

現実では、自らの本音を言うことを禁じられていた鴎外にとって、小説という形で表現することは、彼の逃げ場所となっていたのだろう。

実際に、作家や詩人には回避性の傾向をもった人が少なくない。現実の中で自分のやりたいことをやすやすと行うことができるのならば、わざわざフィクションという方法で、表現する必要もない。

暗い部屋に足を抱えて座り込んでいる人
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