法律を学ぶ女性は危険思想があるのではという目で見られた

法律や経済を学ぶ女性はよっぽどの変わり者。それどころか「恐ろしい」「不気味」とさえ思われるような時代だった。共産主義や市民運動など、警察から目をつけられるような活動をしているのではないかと警戒されたりもする。嘉子が法律を学んでいることを知った近所の人のなかには、

「まあ、恐ろしいわね」

と、言って眉をひそめる者もいた。そんな感じだから、縁談話を持ちかけてくる者も激減する。

ノブが帰京してすべてを知った時には、当然のことながら大激怒している。ふだんは夫に大人しく従う良妻がこの時ばかりは猛抗議し、

「嫁のもらい手がなくなってしまいます」

入学をとり止めさせるよう大泣きして訴えるのだが、貞雄は娘の意思を優先するべきだと言って受けつけない。嘉子の意思も変わらなかった。こうなった時の娘の頑固さはノブもよく解っている。もはや諦めるしかない。

娘が生涯幸福に生きてゆけるように、女の道を説いて育てた。最難関の女学校を卒業し、ノブが望んだ通りの人生の勝ち組ルートを順調にひた走っていたはずなのに。最終コーナーをまわったところで落馬してしまったような……。ここまで必死に頑張ってきた自分の努力がすべて無駄になってしまった。そう思うと力が抜けて、激しい怒りの後には虚無感が湧き起こってくる。

不在の隙を突かれた母は娘が勝ち組ルートから外れたと落胆

しかし、人生観や価値観は、時代や人が生きてきた環境で変わる。ノブはシンガポールにいた時の異文化での生活を通してそのことも知っている。

青山誠『三淵嘉子 日本法曹界に女性活躍の道を拓いた「トラママ」』(角川文庫)
青山誠『三淵嘉子 日本法曹界に女性活躍の道を拓いた「トラママ」』(角川文庫)

自分と娘は生きている時代が違う。いまや職業婦人は珍しくない。結婚以外にも女の幸福がみつけられる世が、やがて来るのかもしれない。維新以前にはありえなかった女性教師や女性医師も、いまの世ではそれが普通に受け入れられている。女性弁護士もやがてはそうなってゆくのかもしれない。

ノブと嘉子は血のつながった母娘だけに、性格は似たところが多分にある。感情を抑え切れずに爆発することはあっても、いつまでもそれが尾を引かない。切り替えの早さは共通している。もはや入学手続きは完了しており、娘の意思は揺るがない。夫がそれを承諾している限り、覆すことは難しいだろう。自分だけがいつまでも抵抗して不機嫌をアピールしても無駄なこと、家の中の雰囲気を悪くするだけだ。

わだかまりは残りつづけるが、ここは娘の意思を認めて応援してやるしかない。世が変われば、女性弁護士でも嫁に欲しいという男性が現れるかもしれない、と考えたのだろう。

青山 誠(あおやま・まこと)
作家

大阪芸術大学卒業。近・現代史を中心に歴史エッセイやルポルタージュを手がける。著書に『ウソみたいだけど本当にあった歴史雑学』(彩図社)、『牧野富太郎~雑草という草はない~日本植物学の父』(角川文庫)などがある。