女性が弁護士を目指せるのは明治大学専門部しかなかった
高等女学校も男子の中学校と同じ中等教育機関なので、専門部や専門学校の受験資格はある。だが、当時の学校は男女別学が基本。女子を受け入れてくれる学校は少なく、それに代わる女子の高等教育機関が女子大学だった。
戦前の女子大学は名称こそ大学だが、実際には専門学校令に基づく高等専門学校。女学校卒業者を対象に、大半の学生は良妻賢母の育成に主眼を置いた家政学を学ぶ。
他には国文学や英文学、数少ない実学の学科も医学や薬学、看護学など医療関連の学部で占められていた。
しかし、女子大学には法律や経済などの実学が学べる学部はない。
女子が法律を学べる学校がなければ、弁護士法を改正したところで意味がない。ということで、明治大学では弁護士法改正の動きが出てきた昭和4年(1929)に、専門部女子部を創設してそこに法科を設置していた。 法律を学ぶという目標が定まれば、もはや進学先で悩むことはない。当時、女性が法律を学ぶことのできる高等教育機関はそこしかなかったのだから。
しかし、嘉子が法律を学ぶなんてことを言いだせば、ノブが猛反対するのは目に見えていた。父と娘は、母親には一切を秘密にして事を運ぶ。ノブが郷里の四国・丸亀に法事に出かけて家を留守にすると、嘉子は附属高女に出向いて明治大学専門部への進学の希望を打ち明け、入学手続きに必要な卒業証明書の発行を求めた。
女学校は花嫁候補としてスペックダウンになると反対
「考え直したほうがいい」
案の定、学校側はすんなりと卒業証明書を出してくれない。当時、明治大学専門部は知名度が低く、また、女性が法律を学ぶというのはマイナスのイメージしかない。
せっかく最高ランクの女学校を卒業して「一流の花嫁切符」を手にしているのに、
「その経歴を汚すことになる」
と、教師たちは必死に説得するのだが嘉子は頑として聞き入れず、説得を諦めて卒業証書を発行することに。
この時、学校側が自宅に連絡して親への説得を試みたりされると、ノブの在宅中だと面倒なことになる。その心配があったから、不在の隙を狙って行動したのである。卒業証明書を受け取ると、嘉子はすぐに明治大学に赴いて入学手続きを済ませてしまった。