引退の理由は「太ってきて踊れなくなったから」とも
私は“踊る笠置シヅ子”を知らない世代の一人だが、1948年の映画『春爛漫狸祭』のフィナーレで踊る笠置の脚が、あまりに高く上がるのを見て驚いた。しかも体形はスリムである。このシーンで彼女がレビューダンサーだったことを改めて思い知らされた。この時の笠置は34歳だったから、戦前の20代ではもっと高く上がっていたかもしれない。だから1950年代半ばになり、40歳を過ぎた笠置が引退を考えた気持ちは理解できないこともない。
もはや自分のあとを追いかけるスターたちのはじけるような若さには勝てないと気づき、歌って踊る歌手としての限界を悟ったのだ。この頃、巷ではロカビリーが爆音のように流行の兆しを見せていた。笠置は背中で、容赦なく新しいスターを次々と登場させる時代の厳しさを感じていたのではないだろうか。1957年大晦日の第8回NHK紅白歌合戦では、前年の大トリだった笠置に代わって、出場2回目で20歳の美空ひばりが女性陣のトリを務めたのは象徴的だ。
その陰で、時代に捨てられる前に自分から身を引き、ファンに惜しまれながらスパッとやめてしまうスター、笠置シヅ子。なんてかっこいいんだろうと思う反面、たとえ太って踊れなくても、少々声が出なくても、皺や白髪も含めて、容姿の履歴もまたスターの勲章だ。“ブルースの女王”淡谷のり子のように、中高年になって貫禄たっぷりの“ブギの女王”もいいではないか。ステージに現れるその存在だけで聴衆には懐かしく、うれしいという思いがある。笠置シヅ子の歌は笠置シヅ子が歌ってこそ価値があるのだ。
女優に専念しテレビ局や映画会社にギャラの引き下げを交渉
潔く颯爽と消えて行こうとする本人の固い意志と、いつまでも歌ってほしいというファンの願い……。その両方の思いがせめぎあい、今でも人々の心に揺れ動く。おそらくスター自身にも、年月を経ると同時に、スターの座に留まるべきか否かの深い葛藤があるに違いない。だが、笠置には笠置の美学があった。表現者として不可欠な挑戦意欲、緊張感やある種のはげしさが、年月とともに穏やかで円熟したものへと転化していくのは自然なことなのかもしれない。それもまた前向きだ。
笠置は映画会社やテレビ局を訪れ、
「これまでの歌手・笠置シヅ子の高いギャラはいりません。これからは新人女優のギャラで使ってください」
と挨拶して回った。ギャラのランクを上げてくれというのではなく、自ら下げてくれと頼んだ芸人はみたことがない、と業界では評判になった。人気というのは泡みたいなものだと、笠置は知っていた。スターの座や過去の栄光にすがることなく常に前向きで、溌剌とした笠置の姿が目に浮かぶ。そしてこれを機に、戦前から“笠置シズ子”と表記されていた芸名を廃し、女優・タレント“笠置シヅ子”としての新たな船出となった。