録音テープの謎、誘拐未遂の犯人には共犯者がいたか

ドラマでは現金を受け渡す役割になったのは、若きマネージャーの柴本タケシ(三浦りょう太)だった。苗字からしても、やはり実在した笠置の付き人、柴田が柴本のモデルらしい。

記事には笠置と、この「柴田君」それぞれのコメントが添えられている。

笠置「母親の一番の弱味をついてこられたので、家に閉じこもったままおびえていました」
柴田君「新聞紙包みを渡したら『すまん、たしかに受取った』としまおうとした。そのとき駅前のテレビで野球を見るふりをしていた刑事四人が手錠をかけた」
朝日新聞1954年4月9日付

これで一件落着かとも思われるが、脅迫電話を録音したテープには二人の声が入っていたので、警察では共犯者がいる可能性も追っていたという。しかし、共犯者が捕まったという報道はないようだ。

ところで、笠置の場合は未遂で済んだからまだ救いはあるというものだが、1950年代~70年代頃まで、芸能人が巻き込まれた誘拐や襲撃事件は時折起こっている。

昭和中期に頻発した芸能人の子女の誘拐・殺傷事件

例えば、1955年7月15日にトニー谷の長男が下校途中に誘拐された事件。この時の身代金は200万円で、自宅に速達で脅迫状が届いた。トニー谷もまた、子どもの写真を雑誌に掲載していたことで、犯人に長男の顔が知られていたために起こった事件だった。ちなみに、犯人は長野県の雑誌編集者で「トニー谷の、人を小バカにした芸風に腹が立った」と語っていたという。

さらに凄惨せいさんだったのは、1964年に高島忠夫・寿美花代夫妻の生後5カ月の長男が家政婦によって殺害された事件。あまりにむごい事件であるため、詳細は控えたい。

また、1974年8月15日に起こった津川雅彦の長女誘拐事件では、犯人は津川と朝丘雪路夫婦の自宅に侵入、生後5カ月の長女を連れ去った。犯人は電話で身代金400万円を要求したが、銀行の新システムで犯人が現金を引き出したことが検知され、警官が犯人を取り押さえることに成功。この犯人も雑誌に住所や間取りまで掲載されていたことで津川・朝丘をターゲットにしたことがわかっている。

『孤獨の人』(1957年)の広告の津川雅彦。
『孤獨の人(孤独の人)』(1957年)の広告の津川雅彦。(写真=『映画評論』1957年1月号/PD-Japan-organization/Wikimedia Commons