歴史ファンタジー小説としての『源氏物語』
『源氏物語』「夕顔」巻の、すでに亡くなっている「先坊」(前の皇太子)は醍醐天皇皇太子だった保明親王をイメージし、その妻の六条御息所は、斎宮女御がモデルだといわれる。宮廷で起こるさまざまなことの多くにはモデルがあり、それを桐壺院・光源氏・薫大将の三世代にわたって、第三者的な視点で描いていく行為は、まさに歴史書の叙述に近い。
一方その同僚の赤染衛門は、本格的な歴史書『栄花物語』を、ひらがな文学という形で作ってしまった。彼女らインテリ受領層の娘たち、つまり実際に行政を動かす家族や、宮廷に生きる主人たちを見ながら生きる階層の女性たちが生んだ文学は、時間の経過を第三者的な目から見る「歴史」という分野に、女性の視点を盛り込んだ。
宮廷文学は単なる「お話」ではなく、内裏の中から社会を客観的に描写し、風刺する文学への展開を見せるようになる。その意味では、彼女たちはその立場から政治に参画していたのであり、それは内裏から外に飛び出し斎宮からメッセージを投げかけた斎宮女御の視点の後継者ともいえるのである。
天皇の娘である内親王たちの恋愛スキャンダルも多い
さて、この時代の事件を起こす女性は意外に皇族に多い。皇族女性は貴族の婚姻政争に巻き込まれることが少なく、特に内親王は結婚が義務でなかったことも影響しているのかもしれない。その意味で、斎王(天皇に代わり、伊勢神宮・賀茂神社に仕える未婚の皇族女性。前者は斎宮、後者は斎院ともいう)という生き方には注目できることが多い。
花山朝の斎宮、済子女王には、野宮で平致光という武士と密通をしたという噂が立った。その真偽はわからない。しかし平安末期に『小柴垣草紙』という春画絵巻が作られるほど、長く語り継がれるインパクトのある噂だった。その次の次、三条朝の斎宮当子内親王は、伊勢に下る前の野宮で、父の天皇の「宝算」つまり在位が18年という吉夢を見た。そして伊勢では何も異常がないことを父天皇に連絡している。まさに理想的な斎王だったのだが、帰京の後には藤原伊周の子の道雅と恋愛関係になって父上皇を激怒させ、手ずから尼になったと、『栄花物語』が書き残している。
賀茂斎院では先に述べた選子内親王、大斎院と呼ばれ、円融・花山・一条・三条・後一条五代の天皇の間奉仕したという斎王が出た。紫式部が対抗意識を燃やすような文芸サロンを作り上げ、摂関家でも無視できない権威を持ち、斎王でありながら仏教にも接近し、退下の後は出家したという、人生を生き切った斎王である。また、この次代の後朱雀天皇皇女の斎院、娟子内親王は退下の後、源俊房という二世源氏と恋愛関係になって駆け落ちを決行し「狂斎院」といわれている。