「口紅くらいつけたら?」

電話局、着物の副業、内職と、そのつど精力的に仕事を行い、一定以上の成果をあげてきた堀野さん。今に至る、天職の化粧品に関わる仕事のきっかけは、夫の一言だった。

「……口紅くらいつけたら? 女の身だしなみってものがあるんだよ」

30代半ばを過ぎた頃だった。給料を入れない夫を責めず、内職と子育てに奮闘している際にそのように言われたら普通なら怒りそうなものだが、堀野さんは翌日早速福島駅前のデパートに向かった。そこで初めて口紅を買ったそうだ。

「私は母が早くに亡くなって、そういうのに疎かったから。女の身だしなみってものをしないといけないんだと思ったのね」

このオトメな思いは、夫への愛だろう。そしてほどなく、堀野さんはポーラ化粧品に出会う。

「当時の家の向かいの奥さんが裁縫をしていて、よく呉服屋さんの奥さんが来ていたの。向かいの奥さんに『奥さん綺麗でしょう? 何歳だと思う?』って聞かれて。『私と同じ30代かな』と答えたら、50歳だった。それはもうビックリして。奥さんにポーラ化粧品を使っていると話されて、そこからだよ」

呉服屋の奥さんに紹介してもらった販売員から、自宅で化粧水や乳液の付け方を教えてもらい、月払いの分割でポーラの基礎化粧品を購入した(※月払いの分割は現在は行われていない昔のシステムとなる)。すると……。

「一カ月くらいして『堀野さん、この頃、綺麗になってどうしたの?』って隣の奥さんに言われて、うれしくなってね。私を見て、その奥さんもポーラ化粧品を買うようになった。それを見て、また近所の違う奥さんも……というように、周囲で使う人がどんどん増えていって。こんなに売れるならポーラのセールスをやりたいと思ったけれど、下の年子がまだ小さかったから、当時は諦めたの」

数年後、一番下の子どもも学校に行くようになった頃、電電公社時代の友人と福島駅前でばったり会った。そして、こう言われた。

「うちの主人が、ポーラの事務所を出したの。今、人を募集しているから、やらない?」

まさか、恋焦がれたポーラが向こうからやってくるとは。今なら、できる。やってみたい。

1962年、堀野さんは39歳でポーラビューティーディレクターに登録、活動を開始した。堀野さんの才覚は入社してすぐに発揮されることとなる――。

黒川 祥子(くろかわ・しょうこ)
ノンフィクション作家

福島県生まれ。ノンフィクション作家。東京女子大卒。2013年、『誕生日を知らない女の子 虐待――その後の子どもたち』(集英社)で、第11 回開高健ノンフィクション賞を受賞。このほか『8050問題 中高年ひきこもり、7つの家族の再生物語』(集英社)、『県立!再チャレンジ高校』(講談社現代新書)、『シングルマザー、その後』(集英社新書)などがある。