主食は米、おかずは野菜

何十年も飲み続けている、お茶の効果もすごい。シツイさんは50代のとき腎臓病を患ったことがあり、毎朝、目も開けられないほど顔がむくんでいたが、息子の英政さんが試行錯誤の末に作り上げ、特許も取得したお茶を飲み続けて、自力で治してしまったという。

畔野果あぜのかというこのお茶にはアザミ、アザミの根、ミョウガ、ツユ草、紫ツユ草など、一風変わった植物が入っているが、アザミもツユ草も、かつて茨城や栃木では常食にしていた植物だそうである。

「私は息子が作ってくれるお茶以外、緑茶もコーヒーも飲まないし、肉も魚もほとんど食べないんです。揚げ物なんかも食べろ食べろと言われるんだけど、無理をして少し食べるだけ」

シツイさんの主食は米、おかずは地元で採れた野菜。以前は畑をやっていて、タマネギ、トマト、ホウレンソウ、キャベツ、ハクサイ、ダイコンなど、多くの野菜をほぼ自給していた。

「畑があると、畑仕事をやらなくちゃならないからね。野菜を作ってると楽しいですよ。米はみんなが持ってきてくれるから、買ったことがないんです」

今も夫が戻ってくるんじゃないかという希望がある

徹底して体を動かし、毎日歩き、嗜好しこう品を好まず、粗食を好み、極力自給的な生活を送る。どうやらそれがシツイさんの長寿の秘訣らしいのだが、案外、そうした生活を送っている人はたくさんいるのではないか。

お店の前で取材スタッフを見送ってくれたシツイさん
撮影=向井渉
お店の前で取材スタッフを見送ってくれたシツイさん

いったい何が、100歳をこえる“超長寿”にシツイさんを導いたのか? ふと、二郎さんの戦死公報のことが頭に浮かんだ。戦死公報が届いたのは終戦の8年後。遺骨はいまだに返ってこない。

「いまでも二郎さんが死んだって、信じられないんですよ。どこかで捕虜になって生きているんじゃないか、それともボロを着て、中国の農家の手伝いでもしているんじゃないか。もしかしたら戻ってくるんじゃないかっていう希望が、まだあるんです」

この希望がシツイさんを支え続けているというのは、穿った見方に過ぎるだろうか。

山田 清機(やまだ・せいき)
ノンフィクションライター

1963年、富山県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、鉄鋼メーカー、出版社勤務を経て独立。著書に『東京タクシードライバー』(朝日文庫)、『東京湾岸畸人伝』『寿町のひとびと』(ともに朝日新聞出版)などがある。