夫が亡くなる可能性を踏まえて腕一本で稼げる道を選んだ少女
これだけを聞けば、NHKの連続テレビ小説の初回のようなイメージだが、シツイさんが理容の道に入ることを決めたのは、単に東京に行きたかったからではなかった。
「小さい頃から周りの大人たちが、『結婚して子どもができても旦那さんが亡くなったら苦労するから、手に職を持ったほうがいい』と言っていたんです。親戚が東京でがま口を作る工場をやっていて、そこに勤める話もあったんだけど、私は好かなかった。だって、がま口は何人もの人が工場に集まって作るもので、ひとりじゃ作れないんですよ」
つまりシツイさんは、10歳そこそこで将来「旦那さんが亡くなる」可能性を踏まえて、腕一本で稼げる道を選んだのだ。シツイさんの日常には、周囲の大人たちの言葉を通して、戦争の影が忍び込んでいたのではないだろうか。
美容ではなく理容を選んだ理由も時代を感じさせる。
「当時は美容のことを『髪結い』と言ったんだけど、昔の女の人は髪を長く伸ばしてあまり洗髪しなかったから、不潔だったんです。その点、理容は衛生的だから、どうせやるなら理容がいいと思ったんです」
他の見習いが遊んでいる間に剃刀の練習
シツイさんが初めて見習いとして入った向島の理容室には、例の同級生の妹のサクちゃんの他に2人の見習いがおり、シツイさんは女性ばかり4人の見習いの4番目だった。24歳の女性の親方(当時は女性でも親方と呼んだ)は優しい人で、店が終わると見習いを引き連れて夜店に繰り出すのを習慣にしていた。
「浅草の松屋(1931年開業)から亀戸天神にかけて、毎晩、夜店が立ったんです。果物からお菓子から焼き芋から雑貨まで、何でもあってとても楽しいんですが、私は2、3回しか行かなかった。夜店で遊ぶお金もなかったし、早く他の見習いの人に追いつきたかったから、仮病を使っては先に布団に入らせてもらって、みんなが夜店に出かけた後に起き出して剃刀の練習をしたんです」
当時の剃刀は全長15センチほどの日本刀だった。顔剃りの練習には底に煤のついた土鍋を使ったそうである。煤をひげに見立てて、日本刀で煤を落とした。
「顔剃りができるようになればお客が取れるから、一所懸命練習しました。でも、刃を研ぐのが難しくてね。石(砥石)と鉄と水でしょう。冬場は凍っちゃうから、つるーっとすべってぱっと切っちゃう。ほらこの指、ゲジゲジでしょう。みんな剃刀で切った痕ですよ」
努力の甲斐あって、シツイさんは他の見習いよりも早く顔剃りをやらせてもらえるようになった。髪を切るのは危険ではないから、顔剃りができればもう一人前だった。