今は灰皿はない

「ふてほど」が切り取った80年代の姿で80年代メイクやVHSのビデオプレーヤーやケツバットや幽霊自転車以上に衝撃的だったのは、市郎が乗ったバスの座席の背に、前にガコンと引き出すあの四角い灰皿があったことだった。

そういえば昔は電車のプラットホームにもベンチの横に灰皿が普通にあって、スモーカーたちがモクモクと白い煙を上げていたものだ。いまじゃ全廃、駅構内は全面禁煙なのが当たり前で、そんな灰皿が存在したことすら忘れていた。

喫煙所
写真=iStock.com/SandA
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「ふてほど」の本当のテーマ

人間社会は、時代によって細かいルールの修正を施して進んでいく。暮らす中で、誰もが知らぬうちに多かれ少なかれ「常識」をアップデートされて生きている。昔、(特に長距離)バス座席の背には灰皿があったが、いまはない。

「タバコね、体に良くないんですよ」「私はあの煙を吸わされるのが嫌なんです」と声を上げた人がいて、「それは困りますよね、どうしたらいいですかね」と話し合って、「本当はスパッとやめる方がいいんですけどね」「じゃあ、吸いたい人は専用のスペースを設けますから、そこでお願いします」と社会のルールが変わったからだ。

バスの背に灰皿があった頃はバスの中で大っぴらに喫煙することが許されており、そっちが「常識」だった。だがいまは分煙社会であり、皆それを受け入れて暮らしている。

それと同じ「ルール修正」が、現代人同士のコミュニケーションの中に起こっているのだ。男女関係の「力学差を利用した暴力」の話だけじゃない。嗜好しこう品を大っぴらに摂取することを見直すという文脈でいくなら、もしかしたら、私の大好きな酒類にも同じようなことが起こるかもしれない。コーヒーもよろしくない、エナドリも刺激が強いので年齢制限を、という話になってくるかもしれない。

大売れに売れた書籍『ファクトフルネス』でも紹介されていた通り、「昔は良かった」は統計学的に否定されている。経済も、技術も、社会のありようも、長い目で見れば人類社会では確実に、昔よりも現代の方が(人間の)幸福度は全体的に底上げされている。歴史的にも、人類は何かあれば「それはいかんよね」「もう少しいい方法はないかね」と、額を寄せ合って知恵を出してきたからだ。

「もう少しいい方法」を考えることに参加貢献せず、「昔は良かった」と新しいルールの醸成そのものを拒否することを思考停止と呼ぶ。

ドラマ「不適切にもほどがある!」は、「話し合おう」がテーマなのだという。毎回の放送のミュージカルパートはまさに対話シーンであり、ディベートを歌に乗せたメタファーで優しくユーモラスに届けるという、気の利いた演出が大成功している。ユーモアに包んだ昭和の直視と、実はゴリゴリの対話。プロの手によるそういう前向きで上向きな「たくらみ」、機知に富んだエンタメを、現代の私たちは必要としているのかもしれない。

河崎 環(かわさき・たまき)
コラムニスト

1973年、京都府生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。時事、カルチャー、政治経済、子育て・教育など多くの分野で執筆中。著書に『オタク中年女子のすすめ』『女子の生き様は顔に出る』ほか。