伝記には「吉本せいは息子の恋愛が許せなかった」

「吉本せいは、息子穎右の恋愛そのものが許せなかったのである。相手が誰であろうと問題ではなかった。たまたま笠置シヅ子であったから、せいは笠置を目の敵にしただけで、穎右と恋愛する者が許せなかったのである。穎右と恋愛する者が許せなかったと、たったいま書いたが、これは、『穎右の恋愛が許せなかった』と、書き直すべきかもしれない。嫉妬心のひと一倍強かった吉本せいは、実弟の林正之助が東宝の重役になったことに嫉妬したごとく、いやそれ以上に、溺愛していたわが子の恋愛に嫉妬の炎を燃やしたのである。壮絶な、近親憎悪であった」
矢野誠一『新版 女興行師 吉本せい』(ちくま文庫)

「御寮さん」像と、伝記で書かれた吉本せいを読み比べると、正直、笠置の自伝は、ややきれいごとに見える部分がある。

例えば、「ぼんぼん」という項では、笠置は吉本せいの人となりについて「男まさりの方」「この御夫婦は誠に好一対で、どっちも太ッ腹で目先きが利いて、人の使い方がうまくて、度性ッ骨が強いという鬼に金棒のような気性」と評している。

そして、夫が37歳のときに心臓麻痺で急死したことに触れ、こう記しているのだ。

夫に先立たれ5人の子を亡くした悲劇的な人生

「御寮さん(編集部註:吉本せいのこと)は時に三十三歳で女の子が三人に、もう一人お腹の中に子供がありました。そのお腹の子がエイスケさんなのです。普通の未亡人なら、ここで寄席を全部売り払って女向きの商売を考えるところですが、勝気な御寮さんは亡夫の偉業を継ぎ、興行師仲間に割って入って一歩も譲りませんでした。今とちがって大正時代の興業界はテキ屋の世界みたいなもので、荒くれ男に伍して女が対等の立場を占めて行くということは大変なことだったでしょう」
(笠置シヅ子『歌う自画像:私のブギウギ傳記』1948年、北斗出版社)

伝記によると、吉本せいは、息子と笠置の問題については「何も知らない」と語らなかったという。穎右が25歳で死んだことは悲劇だが、せいは夫に早く死なれた上、8人の子を産みそのうち穎右を含む5人が早逝したという、家族の死に目に会い続けた人生だった。そして、穎右が亡くなってから3年近く経った頃、60歳で生涯を終える。おそらく穎右と同じ肺結核だったと思われる。

その人生の中でも溺愛した亡き息子の子を産み育てる笠置に、見舞金1万円だけ渡し、存在を認めないままに死んだ吉本せいのことを、しかし笠置は自伝を読むかぎり恨んではいなかった。それどころか、女手一つで子供たちを育て、会社を大きくしたことを尊敬しているようですらあった。

それは、愛する人の母も愛そうとする笠置の情の深さによるものか、あるいは自身が産みの母を知らずに育ち、養母の死に目に会えなかったからこその憐憫れんびんだったのか。